16世紀、日本が戦国時代の真っ最中、ヨーロッパ人の宣教師がやってきた。
評論家の山本七平氏は、ヨーロッパ人が日本に伝えたものとして「神・悪魔・鉄砲・性病・タバコ・奴隷・植民地化」をあげる。
鉄砲についてくわしいことはこの記事をどうぞ。
この中の奴隷と植民地にかかわることだけど、日本人が黒人を見たのもこのときが初めてだ。
イタリア人宣教師ヴァリニャーニ(ヴァリニャーノ)が織田信長に黒人奴隷を見せたことは有名。
生まれて初めて黒人を見た信長は「いやいや、黒い肌なんてうそだろ~」と信じず、本当かどうかチェックした。
信長に仕えたアフリカ人
イエズス会宣教師が、ポルトガル人によってアフリカから連れてこられた黒人奴隷を初めて信長に会わせたとき、信長はからだに墨を塗っているものと思い込み、それが肌の色であると説明してもなかなか信じようとしなかったという
「詳細 日本史研究 (山川出版)」
身体を洗っても色が変わらないことで、信長は黒人の存在を納得したという。
その黒人奴隷を気に入った信長は「弥助(やすけ)」という名前をあたえて、日本の歴史上初めての外国人侍にした。
「サムライになった黒人」なんて、パワーワードにもほどがある。
これがアメリカ人の興味を引かないわけがなく、これはもう映画化まったなしだ。
というか、いまハリウッドでは弥助についての映画制作が2つ進行している。
つい最近、イギリスBBCにそんなニュース(2020年01月20日)があった。
初の外国人侍として、そして織田信長の家臣として、弥助はいくつかの重要な戦いに参加している。さらに、信長の家臣だった明智光秀が謀反を起こした1582年の本能寺の変では、弥助は信長と共にこの寺に宿泊していた。信長はここで切腹している。
アフリカ出身の侍がいた 戦国時代の数奇な人生、ハリウッド映画へ
「麒麟がくる」にも登場するか?
この記事によると、信長は弥助とは家族のように接していて、「信長と共に食事をする数少ない家臣のひとりだった」ということだ。
また、弥助はアフリカやインドでの生活を話して信長を楽しませていたという。
なんか「アラビアンナイト」みたい。
このニュースに日本のネットの反応は?
・未来から来たプロ野球選手って俺の見た文献には書いてたぞ
・黒人からしたらホビットの国に転生したみたいなもんだし無双してそうだよな
・不思議とゲームキャラにはなってない…よね
・ハリウッド映画は必ず忍者と侍のバトルが強引に捻じ込まれるから楽しみ
・杉並だけど小学校のときに黒人の大学教授の子供の姉妹が編入してきてパニックなったからな
戦国時代に黒人見たらびっくりすんだろ
白人の宣教師に連れられる黒人奴隷の召使い
『信長公記』には「切支丹国より、黒坊主参り候」と記述され、年齢は26歳~27歳ほどで、「十人力の剛力」、「牛のように黒き身体」と描写されている。
織田信長の考え方や行動は『信長公記』にくわしく書いてある。
それを見ると、信長は身分というものをまるで気にしない。
庶民と一緒に踊ったり、汗を拭いてやることもしているのだ。
くわしいことはこの記事を。
信長が身分を重視していたら、豊臣秀吉なんて“賎しい身分”の人間を取り立てることもなかったはず。
戦国時代の日本に来て、超例外的な日本人と出会った弥助は本当に運がよかった。
*追記
2024年の7月現在、弥助の“専門家”だったロックリー・トーマスに歴史歪曲の疑いが指摘され、大きな問題になっているから、最新の情報をチェックしてほしい。
こちらの記事もどうぞ。
黒人奴隷の様子:アフリカ(セネガル)の負の世界遺産「ゴレ島」
アフリカの負の世界遺産(黒人奴隷):ガーナのケープ・コースト城
日本とエチオピアの関係・民族の文化「窓から悪霊」、「唇にお皿」
アフリカの旅(国)が、こんなにひどいなんて聞いてなかったから。
弥助の遺体が発見された記録はないんですよね。 一説では信長の首を持って本能寺を脱出したとか。
でもその後まったく記録がないんですよね。 どこにいても目立つはずなのに~いったいどこに消えたのか。
誰にも見られず信長の首を守り通して過ごしたのなら相当苦労したと思います。
ポルトガル語を覚え、その次に日本語を覚えってすごいですよね。
彼はそもそもどういう経緯で奴隷にされたのか。
アフリカが恋しかっただろうな。 でも少しでも日本に来てよかったと思ってくれていたらいいなと思います。
弥助のハリウッド映画どんな感じなんだろう。 楽しみです♪
本能寺の変で捕まった時、明智光秀は「こいつは人間ではないから放してやれ」みたいなことを言われて助かったといわれています。
戦国時代に黒人がいたらどこに行っても注目の的になると思うのですけど、その後の消息はわかりません。
弥助がどうなったか本当に気になります。