外国人から見た日本人のコミュニケーション。ハッキリ言う人は好印象

 

最近、英会話学習についての記事を書いている。

英会話は、「英語+会話」から成り立っている。
英語と会話の2つの要素が必要なんだから、ただ単に英語を学べばいいわけではない。
コミュニケーションの力も大切だ。

日本人の「会話」の部分についていうと、外国人は時どきこんなグチを言う。

「日本人は、はっきりものを言わない。だから、本当は何を考えているのかが分かりにくい」

 

これには、日本人によくある遠慮や控えめということはあると思うけど、外国には好い印象を与えない。
日本人は言いたいことをはっきり言うことより、相手が何を考えているのかを察する方が得意だ。

これについては、ボクもアメリカ人の友人から怒られたことがある。

意識していなかったけど、どうもボクは「何でもいい」とか「あなた次第で」とった言葉を言うことが多すぎたらしい。
あるとき、「なんでいつも『なんでもいい』というわけ?何でもいいなら、どれかを選んで言いなよ!」と言われてしまった。

 

「何でもいい」という言葉からは、「あなたの考えを尊重します」ではなくてその場を楽しんでいないというイメージをもったらしい。
考えてみたら確かにそうだろうね。

それからは、簡単には「何でもいい」を言わないようにしている。
なるべく、「ボクはこれがいい」「これをしたい」と言うようにしている。

 

外国人とコミュニケーションをとるときは、自分の気持ちや考えを相手にしっかり伝えることが大事だ。
「どこでもいいや」と思っているときでも、具体的に場所を決めて「~に行きたい」「~しよう」と伝えた方が、きっと相手は好い印象を持つはず。

 

外国人にしてみたら、そうした人間の方が分かりやすくてつき合いらしいようだ。
日本人に対しては、良い印象をもっている外国人は多い。
けれど、自分の思いをしっかり伝えないところには、ガッカリしたり腹が立ったりすることがあると言う。

日本人が相手だと、「はっきり言い過ぎ」と敬遠されてしまうかもしれないけれど、外国人相手ならそのぐらいがいいと思う。

 

ちょっと話はそれるけど、この例外が大阪人だ。

関西の大学に留学していたイギリス人やオーストラリア人は、「大阪の人は思ったことをそのまま言葉にしてくれるから好きだ。それにすぐ話しかけてくれて親しみやすい」とよく言っていた。

友人のジャマイカ人は、「大阪人はジャマイカ人とよく似ている」と言っていた。
大阪の街で大晦日を過ごしたとき、見知らぬ人が笑顔で気さくに声をかけてきてくれて楽しいひと時を過ごすことができたらしい。

「彼らはジャマイカ人と似たノリをもっている。ジャマイカにいるみたいだったよ」と笑っていた。

他にも、大阪人はコミュニケーション能力が高いと話していた外国人がいた。
確かに、大阪人は日本人離れしている。

 

 

日本人は、自分が考えていることをはっきり言うことが得意ではない。

そもそも日本では学校では、自分の考えを相手にはっきりと伝える活動をあまりしていない。
少なくても、ボクの小中高校時代はそうだった。

さすがに今の学校では、スピーチやディベート(討論)といった活動をやっていると思うけど。

 

「ディベート(討論)」ときたらアメリカ人だろう。
アメリカでは、ディベートをとても大事にしている。

今おこなっているアメリカの大統領選挙でも、多くの人たちが討論会によって候補者の考え方や価値観を理解しようとする。

討論会

大統領候補による討論会が3回、副大統領候補による討論会が1回、それぞれ開催される。全米メディアにより生中継され、有権者からの関心も高く、選挙戦の情勢に大きな影響を与える。

(ウィキペディア)

 

でもアメリカ人に話を聞いたときに、意外に思ったことがある。

「アメリカの学校では、ディベートを盛んにおこなっている」というイメージがあったけど、実施にアメリカ人に聞くとそうでもない。

「好きな人は熱心にそういう活動をするけど、ふつうの学校の授業ではあんまりディベートはしないなあ」ということらしい。

 

このへんは、ボクが想像していたアメリカの学校とは違っていた。
でも日本の学校よりは、ディベートやそれに似た活動をしていることは間違いないだろう。

 

 

友人にニューヨークで生まれ育ったアメリカ人がいる。
彼女は日本の中学校と高校で英語を教えていた。
だから、日本の学校教育のやり方をよく知っている。

その彼女に言わせると日本の学校教育は、グループ学習が多いことが特徴的らしい。
班ごとに分かれて、何かを調べて発表するといった学習活動をよくやっている。
彼女が通っていたアメリカの学校では、こうしたグループでの学習は少なくて自分で調べたことをまとめて発表する学習が多かったという。

 

ニューヨークの学校では、自分が意見を分かりやすく相手に伝えることが重視されているらしい。
これは彼女が通っていた学校だけではなくて、アメリカの社会がそうした能力を必要としているのだろう。

日本人に比べたらアメリカ人は議論が好きだし、自分の考えや意見をはっきり言う。

そのことで思い出したことがある。

日本の中学校で英語を教えていたアメリカ人が、その学校でおこわれた英語のディベートでとても驚いたという話をしていた。

次回から、そのことを書いていきたい。

 

 

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2 件のコメント

  • 考え方の問題ですよ、喧嘩をしてはいけないのではなく、喧嘩しても仲直り出来るかが大切なんです。

  • たしかにそれもひとつの考え方ですね。
    ただ、ちょっとした配慮で喧嘩を防げるのなら、それも必要だと思います。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。