新型コロナウイルスの感染によって、約7000人の死者を出しているイタリアでは医療関係者も疲弊して倒れる寸前だ。
常にゴーグルをかけていないといけないため、顔にはそのあとがくっきりと残っている。
そんな人たちの窮状を訴えるのがこの動画。
そんなイタリアで、素晴らしい勇気と自己犠牲から称賛を集める神父がいる。正確にいうと、いた。
北部ロンバルディア州の町で司祭長を務めていたジュゼッペ・ベラルデッリ神父が、自分よりも若い人に人工呼吸器使って欲しいと言って譲った後、病院で亡くなった。
72歳でこの世を去った神父の最期がいま世界中のSNSで共有されている。
イギリスBBC(2019/03/25)
翌日には、神父の棺が埋葬に運ばれる際、地元の人たちが窓から拍手したという。感染拡大を防ぐため集会や外出が厳しく制限されているイタリアでは現在、葬式を開くことができない。
人工呼吸器は若い人に……譲ったイタリア人神父、新型ウイルスで死去
キリスト教ではこういう人が聖人になるのだろうか。
この覚悟と振る舞いには日本人も合掌。
・聖職者らしい死に方
・顔を見る度に泣いちゃいそうになる
どうか安らかに
・一方、日本の老人はドラッグストアのドアをこじ開けてマスクを奪い合う。
・でもこれ美談にすると危ないよな
・こうしていい人ほど早く亡くなりその逆も然りとなる古今東西の真実
・ドラクエ7に出てきたあの神父思い出した
ここにも書いてあるけど、イタリアでは、医療関係者の限界を超えた患者が病院に押し寄せて医療崩壊を招いてしまった。
政治家の判断や社会体制しだいでは、この自己犠牲は必要なかった。
Fr. Giuseppe Berardelli, a 72-year-old priest who gave a respirator (that his parishioners had purchased for him), to a younger patient (whom he did not know), has died from #coronavirus.
“Greater love has no person…” (Jn 15:13) https://t.co/qXQ6knoE6n via @Araberara pic.twitter.com/uKxRNghire
— James Martin, SJ (@JamesMartinSJ) March 24, 2020
ジェイムズというアメリカ人神父は「友のために命を投げ出すほど大きな愛はない」という聖書の言葉を引用。
そのころ東洋の島国では同じ70代の老人が…
テレ朝ニュース(2020/03/25)
マスクを求める列で割り込みを指摘された女性に体当たりをしたとして男が逮捕されました。
マスク行列で割り込み指摘され…男が“体当たり”か
このイタリアの神父で、コルベ(1894年 – 1941年)というポーランド人を思い出した。
同じくカトリック教会の神父で、勇気ある自己犠牲によって死後、聖人になった人物だ。
第二次世界大戦中、ナチスによってホロコースト(ユダヤ人虐殺)がおこなわれていたとき、強制収容所から脱走者が出た。
これに怒った看守は報復と見せしめとして、10人のユダヤ人を餓死させることを決定。
その一人に選ばれた囚人は、妻と子どもを思って泣きだす。
それを見たコルベ神父が進み出て言った。
つづきは長崎にある聖コルベ館のHPの記述をどうぞ。
『自分は、妻子あるこの人の身代わりになりたいのです』所長は驚きのあまり、すぐには言葉が出なかった。囚人が皆、過酷な状況の中で自分の命を守るのに精一杯なのに、他人の身代わりになりたいという囚人が現れたのだ。その場のすべての者は呆然となった。
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で、「16670」の囚人番号を付けられたこの人物は1982年にカトリックの聖人となった。
でもこう言っちゃなんだけど、一番いいのは自己犠牲が必要ない世の中だ。
聖人のいない世界はわりと理想的。
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の「死の壁」で祈るローマ教皇フランシスコ
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欧米におけるこの手の「自己犠牲の美談」を目にするといつも思うのですが、欧米キリスト教(主にカソリック国)では、美談的行動を取ることができるのは聖職者だけなのですかね? キリスト教徒っていうのは、神に命じられない限り、他人に恩恵を施す行動ができないっていうことなのですか?
高度経済成長で国民生活が急に豊かになった頃を行きてきた「団塊の世代」が、今や、70代の元気な老人になって、年甲斐もなく自動車の運転は止めない、傍若無人な振る舞いをする老人も多い、それは分かります。ですけど、イタリアとか高齢化した欧米社会で暮らしてみれば分かるが、あちらの方が、よほど傍若無人で元気な老人が多いですよ。むしろそういう人が多いからこそ、聖職者には反対の行動が求められ、それを実行した聖職者は社会から褒め称えられるのです。
宗教を社会の基盤に位置づけるということは、必然的に、異教徒を拒み排除し迫害・攻撃する価値観へと繋がります、特に一神教ではそうです。宗教に頼らず社会の秩序・道徳を維持できている(今のところですが)日本の方が、世の中としてよほど進んでいると思います。日本人のようにいいかげんな宗教意識、すなわち新年初詣は神社で、結婚式は神社でも教会でも、葬式は寺で、クリスマスとハロウィンは祝日、そんな生き方(ファッション宗教?)こそが現代文明人類には相応しいと考えます。
心に平安をもたらすという意味で、やはり宗教は麻薬と変わりませんね。
欧米社会では昔の教訓から政教分離が進んでいるから、異教徒への迫害や攻撃は減っています。
もちろんゼロではないですけど。
日本人の神仏習合という信仰スタイルは平和でいいですよ。