現代のインド人は、なぜムガル皇帝アクバルを好きなのか?

 

友人にヒンドゥー教徒のインド人がいて、彼は日本に3年ほど住んでいたことがある。
インドの社会に比べて、彼が日本で良いなと思うポイントは、とてもリラックスした雰囲気があるところ。

インドはヒンドゥー教のイメージが強いけど、じつは世界三位のイスラム人口を持つムスリム大国でもある。
インドには、約10億人のヒンドゥー教徒と1億人以上のイスラム教徒がいて、潜在的な対立関係にあるから、どこかで衝突が起こると、それが次々と広がっていくことがよくある。
2023年の8月にも、首都ニューデリー近郊で衝突が発生し、少なくとも7人が死亡し、100人以上が逮捕された。

インドには宗教に熱心な人が多いから、対立や争いもうまれやすい。
彼はそんなテンションの高さを嫌っていたから、国民のほとんどが「無宗教ですけど、それが何か?」という日本の社会には安心感をおぼえると言う。
それはその通り。
東京の近くで、日本人どうしによる宗教暴動が発生して、10人近くの人が死ぬという事件は日本ではありえない。

そんなインドには、こんな素晴らしいことわざがあるらしい。

「平和のために汗を流せば、戦争で血を流すことはない」

16世紀のムガル帝国皇帝アクバルは、そんな理想が受肉したような人物だ。

 

 

「アクバル」とはアラビア語で「偉大な」という意味で、アクバル皇帝はインドでは理想的な君主だった。
イスラム教徒だったアクバルはヒンドゥー教徒の王国と戦い、勝利して領土を広げ、ムガル帝国を大帝国へと発展させる。

彼にはとても強いが、慈悲の心もあった。
インドを統治するにはヒンドゥー教徒の力が必要だと考え、宗教的にはかなり寛大な一面を見せる。
たとえば、イスラム教徒以外のヒンドゥー教徒などには、ジズヤと呼ばれる人頭税が課せられていたが、1564年のきょう3月15日、彼はそれを廃止した。
ヒンドゥー教徒にとっては税の負担が無くなっただけでなく、イスラム教徒と「対等」の立場であることが認められたから、現実的にも心理面でもダブルでうれしかったはず。

彼は異なる宗教を認め、多くのヒンドゥー教徒の王の娘を妃として迎えることで、同盟関係を強化し、帝国を安定させていった。

 

アクバル(1542年 – 1605年)

 

アクバルはイスラム教以外の宗教を差別せず、平和や統一、寛容を重視した。
そんな態度によって、ヒンズー教徒などイスラム教徒以外の人たちは、彼をさまざまな名前で呼び、愛するようになったという。

This gesture of his made the Hindus and people of other religions call him with different names and start loving him.

Akbar

 

アクバルは戦争で血を流したが、平和のために汗もかいた。
社会の平和や統一のためにあらゆる宗教を平等に考え、寛容の精神を大切にする。
これは現代のインド人の理想そのもの。
だから、彼はイスラム教徒だけでなく、ヒンドゥー教徒やキリスト教徒からも人気が高い。

彼はこんな言葉を残した。

「君主のもっとも崇高な資質は、過ちを許すことである」

アクバルの時代のインドには、それまでにない安らぎが流れていたに違いない。

 

 

インド 「目次」

イスラーム教 「目次」

ヒンドゥー教・カースト制度 「目次」

神聖で汚いガンジス川①インドの裁判所、川に’人権’を認める。動画付き

欧州と日本の“初”:コンスタンティヌス1世と用明天皇のしたこと

もしもインドで、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒が結婚したら?

 

コメントを残す

ABOUTこの記事をかいた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。