さあ今回はみんな大好きトイレの話だ覚悟セヨ。
食べ物や飲み物は目の届かないところにしまって読み進めてほしい。
現代の日本人にとってトイレットペーパーは必需品で、これがなくなるというデマのせいで、最近ドラッグストアからペーパー類が消えてしまった。
でも、この当たり前の快適は昔からあったわけじゃない。
トイレットペーパーがなかったころ、日本人はどうやってお尻の事後処理をしていたのだろう?
答えはこれですよ。
この木の棒は籌木(ちゅうぎ/ちゅうぼく)といわれていて、紙のなかった時代の日本で使われていたお尻のともだち。
籌木の使い方をここでくわしく書く気は毛頭ないから、「くそべら」(英語だとShit stick)という別名から想像してほしい。
現代でもトイレのないキャンプに行って、トイレットペーパーを持ってくるのを忘れたという絶望的状況になったら、こんなスティックを使うかもしれない。
江戸時代後期(19世紀)まで使用されていた例があるから、日本人は長い間この棒のお世話になっていたのだ。
平安時代の絵「食糞餓鬼図」
平安京の路上で排便する人たちと、そのう〇こを食べようとする食糞餓鬼が描かれている。
フンばっている子供が籌木を持っている。
さて、この地図は古代ローマの領土の移り変わりを表したもの。
いまも昔も人間の生活にトイレは必需品で、古代ローマの人たちはこんなトイレを使っていた。
くわしいことはここをクリック。
古代ローマの衛生サービスの提供状態は、他の古代都市と比べて高度に進んでおり、ローマ住民に水道および衛生サービスが提供されていた。
古代ローマといえばこのコロッセウム(円形闘技場)が有名で、ここでは遣唐使、ではなくて剣闘士(英語でグラディエーター)が闘っていた。
グラディエーターの名は古代ローマの武器グラディウスに由来する。
白兵戦では散開してグラディウスを用いて戦った。グラディウスによる接近戦では刺突も行われたが、斬撃による傷のすさまじさが敵を戦意喪失に陥れることもあったという。
そんな名前のゲームが昔好きでした。
こんな剣ややりなどを持って闘っていた、というより見世物として戦わされていたのが剣闘士で、「人権ってなに?」というこの時代では、闘いに負けた剣闘士が殺されれることは日常茶飯事。
剣闘士のほとんどは奴隷や戦争捕虜でたまに自ら志願した者もいた。
この闘いはローマで最も人気のあるショーだったけど、キリスト教の信仰が広がると事情が変わる。
380年にキリスト教がローマ帝国の国教になると教会は剣闘士や訓練士をはじめ闘技会にかかわる全ての者は洗礼を受ける資格がないと定めた。
これが大きなきっかけとなって闘技会はすたれていく。
剣闘士の闘いは人間同士だけではなくて、
ダチョウが相手の場合もあるし、
ライオンと闘うこともあった。
スペインの闘牛はこの延長か?
逃げようとする剣闘士が捕まってムチで打たれている。
さて日本に籌木(ちゅうぎ)があったように、古代ローマの公衆トイレには「テルソリウム」という木の棒があり、人びとこれでお尻を拭いていたという。
スポンジがついているだけ、籌木よりはお尻にソフト
いくらトレーニングを積んだ剣闘士でも、猛獣が相手なら負けることもある。
古代ローマの哲学者セネカが書いた手紙には、これ以上ないほど悲惨な最期をとげる剣闘士がいた。
ナショナルジオグラフィックの記事(2020.04.18)
それはゲルマン人グラディエーター(剣闘士)の自殺に関する一節で、闘技場で動物に殺されるかわりに、「最も不潔な用途専用」のスポンジが付いた棒を喉に押し込んだという。
新型コロナのパニックで売り切れ続出、今こそ知りたい「尻拭い」の歴史
テルソリウムというくそべらを喉に入れて窒息死(?)するとか、何のために生まれてきたのか。
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木ベラや竹ベラを利用していたのは、古代の貴族や寺社あるいは高級武士団くらいで、永らく紙が自由に使えなかった地方農民は「水平に張ったわら縄」の方が主流だったんじゃないですかね? さすがに昭和生まれの私はそんなの使ったことないですが、祖母(明治生まれ)から、昔の田舎ではそういうのを使っている人がいたという話を聞いたことがあります。おそらく、明治初期の頃の話なのでしょう。
ローマ時代の「テルソリウム」ですか? せっかく写真付きで紹介してもらったけど、プラスチック類のなかったローマ時代、先端の「スポンジ」はどうやって入手したのか? おそらく、分からない人の方が多いのではないでしょうか。
この当時の「スポンジ」は現代のようなメラミン樹脂製スポンジではなく、天然の「スポンジ」という名前の海洋生物、別名「カイメン(海綿)」なんですよね。この天然のスポンジ、確か現代でも高級品としてヨーロッパの上流家庭では使われているみたいです。と言っても用途はトイレ用ではなくて、石鹸で体を洗うためのものです。高級天然スポンジの本場は、今でも、ローマのお膝元である地中海産あるいは紅海産だそうですよ。
日本でも昔は天然のスポンジが使われていました。ただし体を洗うのは専ら手拭いですから、天然スポンジの用途は主に食器などを洗うため(つまりタワシの代用品)だったのですけど。日本では、古代ローマのように動物性ではなくて、植物性のスポンジでした。その名前を「ヘチマ」と言います。戦後昭和のころ、どこの家でもよく庭に「ヘチマ」が植えてあって、その実を干して「ヘチマタワシ」を作ったものです。シュロ製のタワシよりも少し柔らかだった。これで足の裏を洗うと気持ちが良くて、また、これで体を洗う人もいました。
ここにある記事は入り口のようなものですから、興味を感じたり疑問に思ったことがあったらぜひ調べてみてください。
そうしたら自分の世界が広がると思いますよ。
ヘチマは私もむかし使って覚えがあります。あれもひとつの知恵ですね。
どうしてわざわざ話を広げて補足してくれたコメントに対してそんなに辛辣なんだ?とてもためになる、豊かなコメントを載せてくれてるじゃないですか。
別に今回だけじゃなく、時に批判的なコメントであったり、あるいはプラスで余談や補足を述べたコメントに対して、辛辣で切り捨てるような返信をちょくちょく見ます。
ここのブログは本当に日本人が書いているのだろうかと思うことがあります。
コメント内でわいわい交流をする趣旨でないにしろ、少なくともコメントを載せれるようにしている、それに返信をする、のであれば…普段外国の方とどういう接し方をされてるか知らないけど、もう少し言い方を考えた方が良いのでは?
ときには1日に数十ものコメントが寄せられることもあって、限られた時間で応えることにはどうしても限界があります。
特にひとつのコメントにいくつもの質問があると、それをふくめてすべてのコメントに答えることは到底できません。
以前は調べて答えていたこともあって、コメントへの返信で2~3時間かかったこともありました。
「じゃあコメント欄は閉鎖しろ」という意見もありましたが、それも考えてますが、いまはそうしないで可能な限りお答えしようと開けています。
ただ、自分で調べたらわかるものにはついては、ご自身でお願いしています。
どんな意見であれ、「それは間違いだ」と否定することなく対応していますが、価値観や見方の違う人すべての要求を同時に満たすことは不可能なので、それは仕方ないと思っています。
ただご指摘のように、たしかに今回の言い方はよくなかったと思うので訂正させてもらいました。
うーん、ご指摘いただいたコメント投稿者なのですが・・。恐れ入ります。
率直に言うと、ご指摘いただいたほどには、ブログ主さんから「辛辣さ」とか「過度な批判姿勢」とかは私自身はあまり感じてはいないのですが。この辺、おそらく「仗助」さんの方が日本人の感覚としては自然なのでしょうね。
ブログ主さんも多分そうだと思うのですが、私自身も海外での生活経験が少し長くて、そのため自分の主張や感想を平均的日本人よりは「露骨に」「強い言葉で」表現する傾向があります。あまり聞き手の気持ちを考えることがないといいましょうか・・。どうしても、自分の考えをそのように強く表現することが、海外生活で(生きるために)身についてしまうのですよね。あと自分の職業・職種も関係していると思います。
自分の女房とか他人とか、はたまた外国人にもよく言われるのですよ。お前は日本人ではないみたいだってね。
日本人としての心のあり様については、私なんかより「仗助」さんの方がずっと「美しい」と思います。
見方や感じ方は主観ですから、それぞれ正しいです。
こちらを立てればあちららが立たず、でむずかしいのですけどね。
トイレに関して、ウォシュレット機能があるのは今も日本だけでしょうか?
海外では機能付きトイレというのはまだまだ普及してない または 使われていない感じでしょうか?
TOTOなんかは海外での販売をがんばっていますし、「日本だけ」ということはないですね。
発展途上国よりは先進国の方が、ウォシュレット付きトイレが多いです。
でも、図書館や駅などの公共トイレでもそれがあるのは日本ぐらいじゃないかな?