時はきた。
新型コロナウイルスという病魔を退治するために、お寺の宗派を超えて大医王仏「薬師如来」に一斉祈願をおこなうことがきまった。
その様子は5 月2 日(土曜日)午前10時から、YouTubeの「寺社Now チャンネル」でどうぞ。
「寺社Now チャンネル」の説明によると、「奈良時代から現代に至る薬師如来1200年以上におよぶ歴史上初の試みとなります」という画期的な試み。
外国人と付き合っていると、日本人の信仰は自由すぎるとよく思う。
七福神みたいにインド・中国・日本の神様が同じ船に仲良く乗っていて、元はヒンドゥー教や道教の神様もいることを話すと、アメリカ人やトルコ人が「これは日本人の信仰を象徴してますね。異なる宗教に対して本当に寛容です」と感心していた。
キリスト教やイスラーム教の一神教の文化圏にいる人からすると、熱心な信者からはデタラメに、上の2人みたいに宗教の平和共存を優先する人には自由で先進的に見える。
さらに言うなら、神様がかわいい。
いろいろな宗派が同じ目的のために、すぐに集まることができるというのも珍しいと思う。
もともと日本では宗派の垣根が低くて、一般の日本人も曹洞宗や浄土宗、臨済宗といった宗派の違いなんて知らないし、それで生活に困ることはない。(ゼロとは言わない)
日本人は自分の宗派も宗教も関係なく、なんでも自分の好きなお守りを授かる(買える)ことに驚いた、というかあきれるアメリカ人もいた。
くわしいことはこの記事を。
アメリカ人と京都旅行⑪ なんで日本人は自由にお守りを買えるのか?
欧米人の場合、キリスト教を信仰していない人でも、カトリックとプロテスタントの違いがわからないという人に会ったことがない。
無信仰であっても無知ではない。
日本人の場合は宗教に対して、良くいえば寛容で客観的にいえば関心が薄い。
外国人と初詣に行ったとき、お寺の目の前で仏教を否定するグループがいたけど、これに抗議する参拝者は1人もいなかった。
これを見て、一緒にいたアメリカ人、トルコ人、リトアニア人、インド人、インドネシア人はみんな「信じられない」と言って、こんなことをされて平気でいられる日本人を見て不思議に感じる外国人もいた。
キリスト教・イスラーム教・ヒンドゥー教とそれぞれの文化的背景はちがうけど、ある宗教施設の前でその宗教を否定する行為は普通ではあり得ないという点ではみんな一致。
教会の前でイスラーム教徒がキリスト教を否定していたらケンカになるだろうし、インドでこんなことをしたらきっと暴動が起こって死者がでるという。
外国人が初詣で衝撃!アメリカ人キリスト教徒の“歪んだ信仰心”
海外に比べれば日本では簡単に宗派を超えることができるけど、キリスト教(カトリック)の場合、別の教派のプロテスタントを正式に認めたのは20世紀になってからだ。
バチカン公会議(1962年–1965年)で、カトリック以外の宗教と対話をするエキュメニズム運動を進めることがきめられた。
この公会議においてローマ教皇パウロ6世のもとで『エキュメニズムに関する教令』が布告されており、ここで教会の交わりを妨げている障害が取り除かれた後に、すべてのキリスト者は聖体の唯一の祭儀の中で、単一有一の教会の一致のうちに集められると述べている。
カトリック教会が、16世紀に誕生したプロテスタントを話し相手と認めたのはこのときが初めてで、これ以来、イスラーム教や仏教など宗教の枠を超える対話の動きが広がった。
この歴史はとても浅いから、新型コロナという共通の危機をむかえたいまでも、プロテスタントやロシア正教会などさまざまな教派と一斉に祈願するというのは本当にむずかしいだろう。
イスラーム教でもシーア派とスンナ派は歴史的に対立することが多く、イラン・イラク戦争(1980~88)の大きな原因にもこれだった。
外国人、特に一神教の世界の人から見ると、日本人の信仰や宗教心、仏教界のあり方はとても特殊なんだと思う。
なんせ初めてキリスト教が伝わったころ、日本人は新しい仏教が来たとかん違いしたほどだから。
1549年に来日したザビエルたちが、「大日を拝みなさい」と呼びかけると僧侶たちは仏教の一派だと思い、歓迎したといわれている。
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