これは2日前のこのブログへの検索キーワード。
スペイン料理といったら、やっぱり「押すラーム」だよね。って、これは「イスラーム」の間違いでしょ。
「i」ではなくて横の「o」を押してしまって、こんなニューワードを作ったに違いない。
でもせっかくだし、今回はこの誤打をもとに記事を書いていこう。
イベリア半島とイスラームの関係、それとその影響を受けて生まれたスペインを代表する料理・パエリアについて。
しかもきょうは木曜日だ。
*あとで出てくるから、バレンシアの位置を確認してくれ。
外務省ホームページ「スペイン王国(Kingdom of Spain)基礎データ」によると、スペイン(西班牙)の基本情報は次のとおり。
面積:50.6万平方キロメートル(日本の約1.3倍)
人口:約4,693万人(2019年1月)(うち約485万人は外国人)
首都:マドリード(マドリード市の人口約327万人)(2019年1月)
言語:スペイン(カスティージャ)語
(ただスペイン憲法によって、次の言語がそれぞれの自治州で公用語として認められている。バスク語,カタルーニャ語,ガリシア語,バレンシア語,アラン語)
宗教:憲法で信仰の自由が保障されている。
国祭日:10月12日(イスパニアの日:コロンブスによるアメリカ到達の日)
スペインのあるイベリア半島はヨーロッパとアフリカの境に位置していることから、「ヨーロッパのしっぽ(尾)」とか「アフリカの頭」と言われている。
ヨーロッパとしての歴史は、紀元前201年にローマ帝国がこの地を支配下に置いたことに始まり、その後キリスト教がイベリア半島に広がった。
でもアフリカ大陸からイスラーム勢力が進出してきて、716年にはウマイヤ朝がイベリア半島の大部分を支配する。
ヨーロッパのキリスト教徒にとっては、イベリア半島をイスラーム教徒に“奪われた”ことになるから、「いつかやつらをアフリカに押し返して、祖国を取り戻してやる!」という気持ちになるわけだ。
「駆逐してやる・・」とエレン・イェーガーなら言ってた。
失ったことで始まった、キリスト教徒による奪回運動を「レコンキスタ」という。
これ無視してスペインの歴史は語れないし、高校世界史でならう超重要事項だからおぼえておこう。
レコンキスタ(国土回復運動)
イスラーム教徒からイベリア半島の領土を奪回しようとしたキリスト教徒の戦い。8世紀初めから1492年まで、ほぼ800年間続いた。
「世界史用語集 (山川出版)」
レコンキスタは英語にしたら「reconquest」(再征服)になる。
13世紀の元寇で日本列島をモンゴル人に占領されていたら、生き残った日本人もレコンキスタを行っていたはず。
800年間もイスラーム王朝に支配されていたのだから、イベリア半島にその影響は深く刻まれ、いまでも見ることができる。
スペインの首都マドリードはアラビア語のmajurit(アマジュリート:水に恵まれた場所)に由来するし、スペインを代表する観光スポット「アルハンブラ宮殿」はアラビア語で「赤い城塞」を意味するアル=カルア・アル=ハムラーがスペイン語になったものだ。
アルハンブラ宮殿
でも、時はきた。
ヨーロッパ風に言えば「カエサルのものはカエサルに」で、800年に及ぶレコンキスタによって1492年にイベリア半島が(キリスト教徒の目線で)元の所有者に戻る日がやってくる。
キリスト教勢力がイスラーム教徒を追い出して、その地に旗を掲げた瞬間をコロンブスはこう記述した。
一四九二年のこの年、ヨーロッパをかねてから支配していたモーロとの戦いを両陛下が終熄させられて、あのグラナダの大都での戦いを終えられ、本年一月二日、両陛下の軍勢が同都の城塞アルハンブラの塔に王旗を掲げるのを、私はその地において目のあたりにし
(コロンブス航海誌 岩波文庫)
このときから現在のスペインの歴史がはじまる。
ちなみに、スペインの支援を受けたコロンブスがアメリカ大陸に到達したのもこの年で、その日10月12日が「イスパニアの日」になった。
このパエリアは海外で最も知られたスペイン料理で、日本料理でいうならきっとお寿司。
これも、レコンキスタ前のイスラーム時代に生まれた料理だ。
「パエリア」というのはもともとフライパン(金属製の鍋)のことで、やげてこれが米料理のパエリアを指すようになった。
パエリアはバレンシアで生まれた食べ物で、今でもバレンシア地方の人たちはよく食べるけど、他のスペイン人にとっては「特別感」があって日常的に食べるものではないらしい。
ちなみにスペイン人の食習慣は昼にガッツリ食べて夕食は軽めというものだから、パエリアも昼食として食べることが多い。
以前、海外に行ったとき、インド風チャーハン「ビリヤニ」の漢字表記が「印度飯」だったから、パエリアも漢字で書くと「西班牙飯」になる。(いや知らんけど)
では、パエリアがスペインで作られた理由はなにか?
この料理を作るのに必要なのものは、米とオリーブオイルと情熱といわれる。(いや知らんけど)
でもパエリアはスペイン風チャーハンだから、米がなかったら話にならない。
イベリア半島に初めて米を伝えたのはイスラーム教徒のアラブ人で、7 ~ 8世紀ごろに中国産かインド産の米がスペインに持ち込まれて、バレンシア地方で稲作が始まった。
これがヨーロッパで最初の米作り。
イベリア半島はヨーロッパでは暑い地方になり、ロ ーマ人によって建設された灌漑設備が残っていたから、稲作をするにはちょうどよかったのだ。
このへんのことは農林水産省のコラムにくわしく書いてある。
米と鍋と油と、あとは肉や野菜があれば作れるシンプルな料理だから、パエリアは貴族ではなくて労働者階級の食べ物だったと思う。
スペインでは伝統的に木曜日が「パエリアの日」と言われていて、この理由には諸説ある。
・レストランが週末のために、残っていた食材を木曜日に使い切ってパエリアを作ったから。
・フランコ将軍が毎週木曜日にパエリアを食べていたから。
(海上自衛隊では曜日の感覚を忘れないように、毎週金曜日にカレーを食べる伝統がある。フランコ将軍もそれ?)
・むかしは新鮮なシーフードが木曜日に出荷されたから。
レコンキスタの最中、イスラム教徒の米料理に始まって、いまではスペインの伝統料理になったパエリア。
木曜日になったら思い出してあげてください。
こんな記事もどうぞ。
寿司は日本料理を代表する料理ですが、パエリアはおっしゃるようにバレンシア地方の郷土料理で食べたことの無いスペイン人もいるとか。それでゆうと、たこ焼きよりもマイナー…きりたんぽ鍋くらいな感じやと思っております。
もう30年くらい前のことになりますが、英国、北フランス、スイス、西ドイツに仕事で滞在した頃、ろくな食い物がなくて「ヨーロッパ人ってのはこんなマズイ飯を毎日食いながら、よくあんなでかいトンネル掘れるものだな」と、妙に感心したものですが・・・。
それがアルプスを越えてイタリアへ、それから南フランスを経てスペインへ入ったら大間違い、こんな美味いオレンジ、魚貝、そしてパエリアがあるなんて、感動!の一言でした(コスタ・デル・ソルの浜に横たわる日に焼けた柔肌も同じくらい美味しかった)。特にブログ中にも出ているあのパエリアの黄色いご飯(サフランライス)は、独特の香りがあって、欧米で美味いと思った米料理はほぼこれだけです。
で、その後東南アジアへ言ったとき、マレーシアのインド料理店で、カレーをサフランライスと混ぜて食べることを覚えました。これもうまかった。
で、日本へ来てから、最近のインド料理店では「サフランライス」が出るところもちょくちょく見かけるようになりました。ですが、昔にスペインで食べたものとはどこか違う。あの香りが少ないのです。
後になって知りましたが、インド料理で出てくる黄色のご飯、名称は「サフランライス」だけれども、実際には「ターメリックライス(=ウコンで色付けしたライス)」なんだそうですね。ターメリックはターメリックでインド料理の代表的なスパイスの一つですから、別にそれで変ではないのだけれど。
ただ、「サフランライス」の名をかたるのは止めてほしいなぁ。あれは「サフランもどきライス」じゃないですか。「不思議の国のアリス」に出てくる「ニセ海亀スープ」みたいなもんか?
パエリアを食べたことのないスペイン人もいるんですか。
海外では有名ですけど、他にもスペイン料理はたくさんありそうですね。
まあたこ焼きよりは高級感があるとおもいますよ。
本場のパエリアをまだ食べたことがないので、うらやましい限りです。
インドや東南アジアでサフランライスなら食べたことがありますが、あれはいいですね。はずれがなかった。