「仲良きことは美しきかな」
「君は君 我は我なり されど仲良き」
明治から昭和を生きた武者小路実篤のそんな言葉はいまも日本人の共感を集めている。
でも待ってほしい。
それは個人的な関係で成立する美しいことばであって、政治の世界でそれを当てようとするのなら「脳内お花畑」と言われてもやむなし。
コロナウイルスという共通の脅威を前にした日本とは韓国はいまこそ仲良くすべきと、朝日新聞が社説(2020年5月13日)で訴える。
アジアを代表する自由主義の主要国として、日本と韓国は共同歩調に乗り出すときである。
コロナと日韓 危機をバネに協調を
コロナは人類の敵だから韓国に限定しないで、アメリカやヨーロッパなど世界各国と共同歩調に乗り出せばいい。
感染症にアジアも自由主義も関係ないのだから。
とにかくこれを機に関係改善を主張する朝日新聞は、それを阻害する要因として「相変わらず歴史問題と、それに起因する折からの対立」を指摘。
このせいで両国間では「目に見える協力が乏しく、嘆かわしい状況が続いている」という。
韓国には、日本へ医療物資を送ろうとする動きがあるけれどそれを邪魔する勢力もある。
韓国政府は一部市民による反対運動を意識せざるをえない状況だ。一方の日本政府も、韓国への支援要請に慎重な姿勢を崩さない。
要するに国民の反日感情で、韓国の政治家がこれを無視して対応を進めることは不可能。
例えば、コロナウイルス感染を確認するための検査キットを日本に送ろうとする動きが出たときには、ある国民がそのためには、日本に以下の内容を認めさせるべきだと韓国大統領府に訴えた。
「慰安婦への蛮行を認め、謝罪すること」
「731部隊の蛮行を認め、謝罪すること」
「竹島の領有権主張を撤回し、謝罪すること」
「正しい歴史教育を行うと約束すること」
日本が過去の歴史を反省して謝罪したら、韓国は検査キットを送ってもいい。
バカバカしくて「交換」にすらならないけれど、韓国の一部にはこう考える人たちがいて、政府はそれを意識せざるをえない状況だ。
くわしいことはこの記事をどうぞ。
いま日韓関係は戦後最悪と言われているけど、それでも必要な協力はちゃんとしている。
第三国にいて出国困難な韓国人が日本の航空機に乗ったり、逆に日本人が韓国機に乗って無事帰国した例があった。
また、そうしたこととは別次元の出来事もある。
白血病でインドの病院に入院していた韓国人女児がいて、急に健康状態が悪化する。親は韓国への帰国を希望するものの、航空便が見つからない。
それを聞いた日本大使館が一肌脱いで、日本航空の特別機を手配して女児を日本まで無事に運ぶ。
インドの病院から日本までに来たら、韓国は目と鼻の先だノープロブレム。
この救出劇を韓国紙・中央日報は「奇跡」と報じる。(2020.05.06)
インド~日本~韓国まで7200キロメートルの長旅を経た帰国だった。
「韓国の協力要請にインドは空港を開き、日本は飛行機を出した」というこの簡単な一行を現実にするために3国外交当局は足早く動いた。韓日7200キロメートルの共助、白血病児の父親「奇跡が起こった」
先生!
1人だけ楽をしている人がいると思われますっ。
韓日関係が日増しに悪化する中、第三国で5歳児の命を救うために両国外交当局が協力し、外交界では「こどもの日の奇跡」と呼んでいる。
次の奇跡では負担割合は「5:5」でお願いしますっ。
菅官房長官は記者会見で、「今回の事案は人道主義的な観点から日本航空の協力で実現した」、「日韓関係者の努力に感謝を申し上げたい」と言ってこれを日韓協力の良い例と紹介し、韓国外交部(外務省)は日本に感謝の言葉を述べた。
今度は逆に日本が韓国のお世話になるかもしれないし、国家間の関係と人道支援は切り離して考えないといけない。
関係が良くても悪くても、困っている日本(韓国)の国民がいたら両国政府は必要な支援をする。
「目に見える協力が乏しく、嘆かわしい状況が続いている」と朝日新聞は言うけど、美しい状況も生まれているしそれ以上は高望みだ。
問題は、「一部市民による反対運動」と朝日新聞がオブラートに表現した韓国の反日感情とそれに基づく運動だ。
日本に支援物資を送るのなら、元慰安婦への謝罪を条件にする。そんな案に一定の支持が集まるうちは、何をやっても関係改善なんて期待できない。
韓国との友好はボクとしてもウェルカムだけど、「仲良きことは美しきかな」のためには、韓国側がまず行動しないといけない。
こちらの記事もどうぞ。
外国人(アメリカ人とヨーロッパ人)との会話がで盛り上がる話題
>一部市民による反対運動
常々思うことですが、社会問題に関して「一部の・・・」という表現が使われたときは、要注意ですね。日本語の「一部」って、数値的にはどの程度を指しているのでしょうか? 私にはゴマカシを狙った表現として使われているようにしか思えません。
このブログにもよく登場する言い方ですよね。昔の国語の先生なんかがよく言われていたように、朝日新聞を手本にすると、かなり歪んだ日本語(及び思想)を真似てしまうことに結果的になりかねません。要注意ですね。
今の学校の国語の先生はどうなんでしょうかね?
世論調査など具体的な数字が出ているものについてはその数字を明記しますが、この場合はそうではありません。
もともと数値がない場合に、「一部」や「多くの」といった表現を使います。
もっともこの国民請願のばあいは、出された日の午前中に約3000の賛同が集まっていますので、それはリンク先の記事で書いておきました。