いまから20年ぐらい前、旅行会社で車をチャーターしてインドを旅行していたときのこと。
イスラーム教徒のドライバーから、「この近くに少数民族が住む村がある。行ってみるか?」と言われたら、行ってみたくなるではないか。
それで連れて来られたのが上の写真の村で、まずは下の村長に「ちーっす」とあいさつをしたら、あとは自由に村を歩いたり写真を撮ったりしていいと言われた。
ドライバーの話によると、ここの村民は最も低いカーストに属する人たちで昔は町で暮らしていたけど、長年にわたるひどい差別を受けてきたことで、数百年も前にこんな山中まで移動して村をつくって住みつづけている。
ドライバーはイスラーム教徒だから、ヒンドゥー教のカースト制度とは無関係の世界で生きていて、「そんな身分制度を時代遅れの迷信だね」とバッサリ切って捨てる。
この村は孤立していて外部との接触がほとんどなかった。
人びとの警戒心はとても強くて30年ぐらい前までは、よそ者が近づくと警告なしで弓や槍で攻撃してきたという。
同じインド人でもドライバーとこの村の人では使っている言葉が違うから、基本的にはコミュニケーションをとることができない。
村に訪れたときにヒンディー語のわかる人がいたら、カタコトのやり取りができるという。
日本とインドの最大の違いはきっと多様性で、インドには本当にいろんな人たちが住んでいる。
こんな村や民族は日本では想像できない、と思っていました。
上位カーストのヒンドゥー教徒はこの村には近づかないらしい。
さて少し前に、ネット上のオカルト・歴史系の掲示板でこんな書き込みを見つけました。
彼らが何のことを語っているのか、分かるだろうか?
・実は1960年代終り頃まで居ました。
近所の叔母さんが竹細工を買ってました。トヨクニ文字を使うそうですが相当古い部族と思われます。
ふっと思い出しましたが、日本にはこのような少数部族はまだいるのか気になります。
・五木寛之の「風の王国」で詳しく紹介されています。その中では普段山中を移動しているので常人の人にはない足腰の強さがあり一日で相当な距離を移動できると書いてあります。うなづけますね。
・茨城では山林に住む人々をバンタ、川周辺の湿地に住む人々をカーボと云われていていてます。
出自ははっきりしませんが元寇の役で捕虜なった朝鮮族が有力のようです。特殊技術を持った者は大名に召使えられましたがその他の多く民は農奴になったと云われています。その中で逃亡したもの多く山や川を渡り集落を形成したと云われます。
これは、かつて日本各地に存在していた「サンカ」と呼ばれる人たちのこと。
彼らは家や村をつくって定住することなく、狩猟採集で生活をしながら山の中を集団で放浪していた集団で、いろいろと謎が多いのだ。
「ポン」、「カメツリ」、「ミナオシ(箕直)」、「ミツクリ(箕作)」、「テンバ(転場)」など、サンカは各地でさまざまな呼ばれ方をされていた。
ここに書いてあるように、竹で箕(み)を作って売っていたサンカもある。
職業の区別もあり「ポン」と呼ばれるサンカは川漁、副業的な位置として竹細工などをしていた。(中略)私的所有権を理解していなかったため、日本人の村人からは物を盗んだ、勝手に土地に侵入したと批難されることも多かった。
箕(み)
日本の山中を移動しながら生活していたサンカは、明治時代には全国で約20万人、終戦直後にも1万人ほどいたと考えられている。
でも彼らの実態はつかみきれていないから、正確な人数なんて誰にも分からない。
サンカの人たちは明治のころから集落や都市部に吸収されていって、昭和30年代には消えたとされる。
彼らは日本人で日本語を使っていたけど、独特なサンカ語も使用していたという。
サンカの人たちは豊国文字の古体象字に似た「サンカ文字」を用いていた! と小説家の三角寛は主張するけど、信じるかどうかはあなたしだい。
『竹内文書』では神々や天皇の名を記す際に豊国文字が用いられている。このうち古体象字は「像形仮名字」(ぞうかたかなじ)または「越文字」と称され、新体象字は「天日草形字」(あひるくさかたじ)と呼ばれる。
豊国文字
先ほどと同じオカルト・歴史系の掲示板への書き込みだから、かなりアヤシイものもあるけど、ツッコミたい気持ちは抑えて参考までに紹介しよう。
・元は山奥にいて稲作民になり損ねたか何らかの原因でやまにはいった人々でしょう。
・子供の頃、鍋穴修理してもらいました。毎年集落外れにきてました。
・私が住む北部九州の山岳にろくろくと呼ばれる一集団が居ました。県を跨いで自給自足の生活をして居ました、昭和15年頃太平洋戦争前に姿を消しましたよ。
・12年ほど前に、九州を車でドライブ中、日も暮れ山奥で道に迷い、車一台やっとの未舗装の道を走っていましたら、山の尾根の近くかなと思われる場所で、家屋が現れ、電気も付いてなく、廃屋かなと思ったら、眼つきが鋭い男が肩に兎を抱えて、こちらを凝視して歩いていました。
そしてまた、一軒、合計3件ほどの家屋があり、サンカだ、と思い急いで麓に降りてきたのを覚えています。
降りるのに車でもかなりの時間を要したので、完全に外界とは隔離した生活なのだと思いました。
この投稿を見て、急に思い出しました。
・こわっ!
・ですね、サンカというより山賊か仙人みたいです。私も山中の湯治場みたいな無人の温泉小屋に行った時、建物の外で鎌を研いでいる人を見たことがあります。怖かったですが挨拶したら返してきたので少しだけ安心しました。
・私が住む北部九州の山岳には、ロクロクと呼ばれ麓の百姓とまつろわない民が居ました、秋には落ち穂拾いをしていたよ。
・よくサンカ間違われるものにマタギがあるがサンカは、狩猟、漁猟以前のものが山や川(河原)にすみついたもの、または移動し、定住しないもので、ヨーロッパのジプシーに近いものです。
これに対しマタギは近代狩猟者で鉄砲など近代的狩猟道具を持っています。
日本のサンカとインドで見た村の人たちには共通点が多そうだ。
これは歴史ではなくてオカルト系に属する動画だから、そのまま信じないでほしいのだけど、参考になると思うから貼っときます。
よかったら、こちらもどうですか?
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