まずは日本史クエスチョン。
台湾が好きな人たちが集まるSNS上のグループに、最近ある日本人がこんな投稿をした。
「大日本帝国7代目台湾総督の墓碑が台北の中心、中山站近くの林森公園の中に祭られているのに感激しました。日本の台湾支配のシンボルとして撤去されても仕方がないところです。台湾の友情に涙が出ます。」
台湾の中心・台北市にある森林公園に祭られているという、第7代台湾総督とはいったい誰でしょう?
この人物はきっと中学校の歴史教科書には出てこないから、次の3つのヒントを出しておこう。
1、明石 元二郎
2、日向 小次郎
3、風魔 小太郎
答えはこの人。
この人物は伝説的忍者として有名な風魔小太郎。のはずはなくて、日本陸軍の軍人・明石元二郎(あかし もとじろう:1864年ー1919年)。
*ちなみに「次郎」は2番目に生まれた男の子で、「二郎」は12番目に生まれた男の子の名前だった。
くわしいことはTBSのテレビ番組で解説している。
明石元二郎は言ってみれば日本のジェームズボンド。
日本史に残る優秀な「スパイ」で、日露戦争で日本が有利になるようロシアに対してさまざまな謀略をしかけて成功させた。
その功績から参謀次長の長岡外史に「明石の活躍は陸軍10個師団に相当する」と評され、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世を「明石元二郎一人で、満州の日本軍20万人に匹敵する戦果を上げている。」と感嘆させたという。
1918年に第7代台湾総督に就任した明石は、台湾の近代化に全精力を傾けた。
日華(台)親善友好慰霊訪問団のウェブサイトから。
「産業と貿易を振興し、台湾を繁栄させなくてはならない」「内地人と本島人の相互協和を図り、母国と人心を同じくさせるのが統治の主要な目的」と訓示した。
明石は具体的にこんなことをした。
・台湾電力を設立して水力発電事業を推進した。
・海岸に鉄道線を敷設して、鉄道での貨物輸送をスムーズにできるようにした。
・日本人と台湾人が平等に教育を受けられるよう法を改正した。
これによって台湾人も帝国大学へ進学できるようになる。
・現在でも台湾で最大級の銀行である華南銀行を設立した。
・八田與一のダム建設を承認したのも明石。
いまでも台湾人から、「神」のような敬意を受けている八田与一についてはこの記事をどうぞ。
台湾の社会と人のためにすべてを捧げた明石元二郎は大正8年(1919年)に、病気のために故郷の福岡で亡くなる。
「余の死体はこのまま台湾に埋葬せよ。いまだ実行の方針を確立せずして、中途に斃れるは千載の恨事なり。余は死して護国の鬼となり、台民の鎮護たらざるべからず」という明石の遺言どおりに遺体は台湾に運ばれて、台北市の三板橋墓地に埋葬された。
この墓地が現在の林森公園で、そこには鳥居と明石の功績を伝える石碑がある。
台湾版ウィキペディアの説明をみると、台湾総統として明石が警察制度を整えて、インフルエンザ対策に力を入れたことが書いてある。
他同時特別重視警察事務,改善警察的待遇並巡視地方6次。 因為傳染病流感疫情,明石總督召開了醫學大會,
冒頭の「台湾の友情に涙が出ます」という投稿には、別の日本人がこんなメッセージを寄せた。
「私も2度行きました。飛虎将軍の廟にしても、台湾の方は日本人より大切にされていることに、感激しました。」
「靖国神社の大祭に台湾から公式参拝に来られているのを見て胸が熱くなったことがありました。
これはそれに対する台湾人の書き込み。
「感謝日本曾經對台灣的建設 相對的台灣人民給予感謝。日本加油」
統治時代の日本が、台湾近代化(建設)のために尽力したことを感謝しているという。
いまの日本と台湾が友人を超えて家族になっているのは、こういう隣人がいるからこそ。
でも戦前の日本人が残してくれた遺産や思いは、現在の日本人こそ受け継がないといけない。
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