奴隷制の“象徴”リー将軍の像撤去/米国人が話す日本との違い

 

背中にまきを背負って歩きながら本を読む。
こんな二宮金次郎の像は以前は日本人の理想として、全国の学校で建てられていた。

 

 

でもいまでは、「戦時教育の名残」「歩いて本を読むのは危険」といった批判から、この像を撤去する学校も多い。
くわしいことは前回の記事を。

【消えゆく昭和】学校から二宮金次郎の像が撤去される理由

 

静岡の観光地でこの像を見つけたとき、一緒にいたアメリカ人に、昔と今では二宮金次郎に対する見方が変化して全国からこの像がなくなっているという話をした。

すると、「アメリカでも同じだよ。価値観の変化から、ある人物の像がいま問題になっている」と言う。

彼が言っていたのは、南北戦争(1861年~1865年)で南軍の司令官を務めたロバート・エドワード・リー
「リー将軍」として有名なこの人物は、最終的には敗北したものの北軍と勇敢に戦ったアメリカ屈指の名将で南部で英雄視されている。

 

ロバート・E・リー

 

南北戦争の原因は奴隷制度をめぐる争いで、奴隷解放を主張した北部に対して、それを維持しようとした南部の11州は南部連合(アメリカ連合国)を結成。

奴隷制存続を主張する11州のアメリカ合衆国南部諸州が合衆国を脱退、アメリカ連合国を結成し、合衆国にとどまった北部23州との間で戦争となった。

南北戦争

 

リー将軍は個人的には奴隷制度に反対だったらしいのだけど、立場としては南部連合のために北部と戦わなければいけなかった。

有能で勇敢で教育者でもあったリーを尊敬する人は多く、アメリカ南部の各地で銅像が建てられたという。
でも南部連合のために戦ったリーには以前から、奴隷制や黒人差別の「象徴」というネガティブなイメージもあるから、この像は現代のアメリカの価値観にはふさわしくないという主張も絶えなかった。

そして時はきた。
先日、ミネソタ州で白人警官が黒人男性を暴行死させる事件が起きて、この人種差別行為に全米が激怒、抗議活動が各地に広がる。

この流れを受けてリー将軍の像に反対する声も高まり、バージニア州知事は「南北戦争が邪悪な奴隷制のためでなく、州の権利のための戦いであったかのようなうその歴史を教えてはならない」として像の撤去を発表。

南部連合の象徴であるリー将軍の像には、人種差別主義者のよりどころとなっていた面があった。
ただ保守派は文化遺産の破壊だとこの決定に怒っている。

 

「アメリカでも同じだよ。価値観の変化から~」というアメリカ人が語った内容も大体こんなこと。

このアメリカ人は南部テキサス州出身のヒスパニック系で、小中学校で人種差別的ないじめを受けたことがあったから、リー将軍についても「南部の誇り」よりも「奴隷制・人種差別の象徴」を優先していた。
像の撤去には以前から賛成していたから、「やっとこの日がきた!」と知事の英断に惜しみない拍手を送る。

 

それにしても、やっぱり日本とアメリカはぜんぜん違う。
二宮金次郎とリー将軍ほどの開きがある。
価値観の変化によって像が撤去されるといっても、「歩きながら本を読む姿は、歩きスマホを助長させるからダメ」という日本人のお花畑的な発想とは別次元だ。
まさかこれに関連して、人種差別の話題がでてくるとは思わなかった。

彼がアメリカを出て日本で生活している理由は、こうした人種差別が反吐がでるほど嫌いだから。
日本でも人種差別がないことはないけど、深刻さではアメリカとは比較にならない。

別の機会に彼とメールのやり取りをしていたときに、「日本ならこんな人種差別はないだろ?」と送ってきたのがある黒人コスプレイヤーのこんなメッセージ。

 

 

黒人がアニメキャラのコスプレをしてその写真をSNSに上げると、「日本人のキャラを黒人がするな!」というコメントがよくくるらしい。
中には(たぶんナルトの)サスケと黒人の差別用語を結び付けて「ニガーサスケ」なんて新しい侮辱語をつくる人もいる。
たしかに日本人なら、黒人や白人がナルトや鬼滅のコスプレをしていても気にしないだろう。

やっぱり住むなら戦場じゃなくてお花畑がいい。

 

 

こちらの記事もどうぞ。

アメリカ 「目次」 ①

アメリカ 「目次」 ②

アメリカ人の歴史認識:悪いのは原爆投下より日系人の強制収容

外国人から見た不思議の国・日本 「目次」

外国人から見た日本と日本人 15の言葉 「目次」

多文化共生社会 目次

 

1 個のコメント

  • >価値観の変化によって像が撤去されるといっても、「歩きながら本を読む姿は、歩きスマホを助長させるからダメ」という日本人のお花畑的な発想とは別次元だ。(改行)まさかこれに関連して、人種差別の話題がでてくるとは思わなかった。

    確かに、日本人の発想は、まあ、どうでもいいような話(?)を言挙げすることから、「銅像を撤去せよ」と無茶な要求に結びつけているという感じもするのですが・・・。ただ、些細な点にこだわって他人の見方を一切顧みずあくまで自分の意見を押し通そうとする、最近の世の中のそんな風潮は、考えようによっては、あからさまな人種差別よりももっと危険なようにも思えます。これも一種の「自粛警察」「同調圧力」でしょうかね?
    日本人は、見た目も考え方にも、もうちょっと多様性を許容すべきだと思います。世の中、自分自身が「普通≒標準≒基準」じゃないんですよ。どうして他人の個性を価値あるものと認められないかな?

  • コメントを残す

    ABOUTこの記事をかいた人

    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。