きょねんドイツ人と一緒に愛知の岡崎城へ行ったときのこと。
浜松市のキャラクター「家康くん」を知っている彼に、「徳川家康はこの城で生まれたんです」と話すと、「じゃあ、なんで浜松のキャラクターになっているの?」と質問されて、「あ、余計なこと言った」と内心で舌打ちした。
家康は岡崎の人だから、前に岡崎市民から「浜松にパクられた」とチクリと言われて、何も言い返せなかった苦い記憶がある。
岡崎出身の家康は浜松城で過ごした時期があるから、いまでは浜松市の公認キャラクターになっているのだと話すと、そのドイツ人は「へー」と言ってそれ以上は食いついてこなかった。
1人の偉人を2つの地域が取り合うことは、陸続きで、長い歴史の中で国境が変化していたヨーロッパではよくあるらしい。
家康の話を聞いたドイツ人は「ドイツでもそんな話があった」と言って、かつてモーツァルトをめぐってドイツ人とオーストリア人の間で「奪い合い」の論争があったことを話しだす。
とりあえずドイツとオーストリアの位置を頭に入れておいてほしい。
モーツァルトは日本の小学校の教科書にも載っている、18世紀のヨーロッパが生んだ世界的な大音楽家。
2006年にドイツのテレビ局が「史上もっとも偉大なドイツ人は誰か」というアンケートにモーツァルトをノミネートした。
これにドイツのオーストリア大使館が抗議したことから、議論がぼっ発。
「モーツァルトはザルツブルクに生まれてウィーンで暮らした」とオーストリア大使館が主張すると、「当時はオーストリアという国はなかった」とドイツのテレビ局が言い返す。
では、モーツァルトは一体どこの人間なのか?
モーツァルトが生きていた時代には現在のドイツやオーストリアの国境はなくて、それぞれの概念もあいまい。
両国はハプスブルク家を頂点にした「神聖ローマ帝国」の中に存在していた。
神聖ローマ帝国の領土の移り変わり
モーツァルトいたころの、1789年の領土に注目してほしい。
神聖ローマ帝国は「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」とか、単に「ドイツ帝国」と呼ばれるほど、ドイツ色の強い国で、ドイツ語を話していたモーツァルトも「れっきとしたドイツ人」で「ドイツ民族の栄光に寄与できればうれしい」と手紙に書いている。
でもこの時代はまだ「オーストリア人」のアイデンティティーが希薄で、モーツァルトの言うドイツも現在のドイツとは違っていた。
ここでいう「ドイツ人」とは、いまだ確たる統一国家を持たない18 – 19世紀に掲げられた大ドイツ主義に基づく「ドイツ人」であり、現在の小ドイツ主義をもとにしたドイツ連邦共和国の国民とは異なるものであるとはいえる。
大ざっぱな見方をすれば、「モーツァルトはドイツ民族の人間だけど、現在の国籍で言うならオーストリア」みたいなものだろう。
もし徳川家康が生まれたころの岡崎が静岡領にあって、そのあと愛知に吸収されたとする。
その場合、「徳川家康は静岡人で、愛知県民でもある」と言ってもまー間違いではない。
でも、彼が生まれたザルツブルクも現在はオーストリアの都市だけど、モーツァルトが生まれた時代は、いまのオーストリアの前身であるオーストリア大公国には含まれていなかった。
だから「ザルツブルク出身」は決め手にならない。
ザルツブルクがオーストリアに組み入れられたのは19世紀になってからで、それまでは大司教が支配するドイツ諸邦のひとつだった。
ヨーロッパでこんなことを言い出したらキリがなくて、オーストリアの有名な宰相メッテルニヒもドイツ人だし、そもそも現在のドイツも1871年にドイツ帝国として誕生したのが始まりだ。
「一民族、一国家」という分かりやすい造りになってない。
こう言っちゃなんだけど、それを目指したのがヒトラーで、ドイツをドイツ民族だけの国家にしようとして、ユダヤ人絶滅を考えて実行に移した。
徳川家康をめぐる浜松と岡崎の争い(あるかどうかも微妙)を聞いて、友人のドイツ人はこんな話を始めたワケだ。
ヨーロッパはスケールが違いすぎますわ。
そう言えばヒトラーはオーストリア生まれだけど、オーストリアがこの悪魔を「引き取る」ことはない。
でもモーツァルトという偉人なら、ドイツには絶対に渡さない。
では最後に、ドイツに関心のある日本人が集まるSNSのグループに、「モーツァルトはドイツ人かオーストリア人か?」という質問を投げかけて、返ってきたメッセージを紹介しよう。
・ウィーンには一度行きましたが、トランジットで一泊しただけですので、大した経験はありません。ただ、私の認識でもモーツァルトはオーストリア人なので、ZDF(ドイツのテレビ局)の発表に違和感を覚えます(笑)モーツァルトが活躍したのもウィーンでしたから。
逆に言うと、ゲーテがどれほど偉大でもゲーテをオーストリア人と言う人は1人もいないと思います。しかし実はゲーテの場合は微妙な問題があって、当時ドイツは幾つもの国に分かれていたのです。要するに「ドイツ」などという国はなかった(笑)
・当時は「神聖ローマ帝国」であって「オーストリア」という国は存在していなかった。
しかしそれを言い出すと、ゲーテの生まれのフランクフルトも神聖ローマ帝国なのですよ。まあややこしいですね(笑)
・今のドイツのアウグスブルクにモーツァルトのお父さんの生まれた家があります。
お母さんはオーストリアのヴォルフガンゼーの生まれだったと思います。
又昔が全て神聖ローマ帝国の中の国々ですけど
・私の夫はドイツ人ですが、モーツァルトのこの話をしたら、笑いながら、ドイツ人とオーストリア人は元々同じ民族だけど、優しいドイツ人はオーストリアに行き、気の強いドイツ人がこっちに残っただけだから大差ないわ、って言ってました・・・
・実際の内容を知りませんが、ZDFがアマデウスモーツァルトをドイツ人と言ったのはおかしいですね…?
オーストリアはMorzartkugelnを売っているので、オーストリアにとってはアマデウスモーツァルトはオーストリア人であるべきなんじゃないですか?😉
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日本はほぼ国土が変わらずにやってきたのでこの辺の話の感覚はあまりないので興味深いです。
日本であるとしたら琉球の偉人や(併合期の)台湾朝鮮人は日本人か否かぐらいでしょうか。
まぁ台湾朝鮮は併合期間が短いので現地人として見ている人のほうが多いでしょうけど。
日本は島国でその気になれば「鎖国」ができますが、大陸の国はそうはいきません。
それぞれ良い面悪い面がありますが。
世界的には日本のような国は珍しいですね。