ほんじつ7月17日は「東京の日」。
1868年のこの日、明治天皇の「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」によって、江戸は東京(東京府)に生まれ変わった。
*当時は「東亰」と書いて「とうけい」と呼ばれていた。
江戸を東京に変えるというのは大久保利通の発案らしい。
そんなことから7月17日は東京デーになっている。
だけど2020年はその前日に、旅行で最大半額を補助する「Go Toキャンペーン」から東京を除外すると政府が発表した。
なんというバースデープレゼント。
とはいえここ最近の東京では、連日300人近くのコロナ感染者が出ている状況だからこれも仕方なし。
この勅書には、「江戸は東国で第一の大都市であり、四方から人や物が集まる場所である。当然、私自らその政治をみるべきである。よって、以後江戸を東京と称することとする。」と書いてある。
くわしいことは「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」を参照。
さて下の地図で「西安」と「洛陽(らくよう:洛阳)」の位置を確認されよ。
まえに中国旅行で洛陽に行ったとき、現地の日本語ガイドが「ここはむかし、東京と呼ばれていたんです」と言っていた。
約2000年前の後漢(25年 – 220年)の時代、首都が長安(いまの西安)から洛陽にうつされたことで、洛陽は「東京」(または東都)と呼ばれるようになったという。
「東京」という言葉もこのとき中国人がつくったものだから、言葉としての歴史は4世紀にできた「京都」よりも長い。
くわしいことはここを。
韓国のソウルを漢字で書けない理由:漢城?京都?首爾(首尔)?
それにしても長安の東に遷都したから「東京」になったという過程は、明治の東京遷都とまったく同じだ。
もちろんそのガイドも、いま「東京」と聞いたら日本の首都を思い浮かべるけど、本家本元は中国の都市名だから、日本人のお客さんによくこの話をするらしい。
東京とは「東の都」という意味だから中国の歴史上、東京は他にいくつかある。
世界史をならった人なら、北宋時代の「東京開封府」が記憶にあるかもしれない。開封はいまでも「東京」と呼ばれることがある。
ここまでくると、南京や北京の意味も見えてくるだろう。
「中国の東京」についてはここをクリックですよ。
はじめ明治政府が「東亰」と書いていたのも、中国の都市である東京とかぶらないようにしたため、と言われる。
さて視点を海外に向けてみよう。
英語版ウィキペディアの「東京」には日本語版にはない、こんな説明がある。
During the Meiji Restoration in 1868, the name of the city was changed to Tokyo (東京, from 東 tō “east”, and 京 kyō “capital”) when it became the new imperial capital, in line with the East Asian tradition of including the word capital (京) in the name of the capital city (like Kyoto (京都), Beijing (北京) and Nanjing (南京)).
明治維新の1868年、都市名は東京に変えられた。
京都、北京、南京などのように首都には「京」の文字を使うという東アジアの伝統に沿って(in line with the East Asian tradition)、帝都・東京が生まれた。
おまけに書くと、韓国にも高麗(918年 – 1392年)の時代には4つの都(四京)があって、いまの慶州市は東京と呼ばれていた。
これが東アジアの伝統だから。
2000年ほど前の東京、いまの洛陽の様子
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