まずはサッカー日本代表の小林祐樹選手のツイートを見てほしい。
2020年。待ちに待った東京オリンピックまで残りわずか。
様々な人種、宗教、カルチャーを持った人々が日本にやってくる。
タトゥーも例外ではない。どう受け取るかは人それぞれだ。 pic.twitter.com/XduPfv1dyn— 小林祐希 / Yuki Kobayashi (@iamyuuki4424) January 6, 2020
2020東京オリンピック。
半年前はみんなそんな夢を見ていた…。
さて野球とサッカーは日本で人気を二分するプロスポーツだけど、刺青への態度はまったく違う。
プロ野球では刺青を見せてプレーしているのは、外国人選手だけで日本人はゼロ。
これは外国人だけの“特権”と言ってよく、プロ野球のファンや関係者は保守的だから、日本人選手の刺青はとても受けが悪い。
だから引退後したら、もう声がかからなくなるリスクが高い。
それに比べてサッカーは別天地。
小林選手のほかにもセレッソ大阪の松田陸選手、ガンバ大阪の宇佐美貴史選手、浦和レッズの槙野智章などなど刺青を入れて堂々とプレーする選手はたくさんいる。
でもそれはそのステージにたどり着いた選手だけで、普通の日本人選手ならやらないほうがいいと日刊サイゾーの記事(2020/08/16)にある。
海外でプレーできるレベルならともかく、J2、J3でプレーする可能性がある選手は、刺青は入れないほうが身のためですね
ゴリゴリの和彫りも……松田、宇佐美、槙野etc.着々と増える刺青Jリーガーたち
刺青はある意味、サッカー・カーストの上位者だけに許されるオシャレ。
「タトゥーも例外ではない。どう受け取るかは人それぞれだ」と言う小林選手に対して、ネットの反応は厳しいものがほとんどだ。
・子どもたちの憧れでもあるべき存在が刺青だらけってどうなの?
・これくらいの覚悟、意志の強さがあればいいかな
・アルゼンチン代表とか半グレ集団にしか見えないよな
・日本代表は下手糞なクセして
格好だけは世界トップクラスだからな。
・俺は悪くない社会が悪いっていう考え方の人たち
日本や韓国では刺青は嫌われているけれど、アメリカやヨーロッパではファッションとして広く認められている。
でもそれにも限界はあって、誰でも自由に刺青ができるワケではない。
イタリアでは最近、優秀と認められた警察官が表彰を受けたとき、手首にタトゥーがあるのが見つかった。
表彰はキャンセルされ、その日に警察官の定職処分がきまってその後解雇された。
イタリアでは、刺青のある人は警察官になれないという法律があるらしい。
くわしいことはこのイタリア・メディアの記事(2020/08/13)を読まれたし。
Arianna, la poliziotta sospesa per un tatuaggio (che aveva già cancellato): «Ho pagato la sincerità»
欧米社会は日本サッカー界の「刺青カースト」とちがって、肉体労働者はかなり自由に入れられるけど、公務員やエリートビジネスマンの間で刺青は敬遠される傾向がある。
刺青は現代の日本人の価値観には合っていないから、銭湯やスポーツジムからお断りされることがよくある。
でも歴史をさかのぼれば、古代の日本ではこれが普通。
縄文時代の土偶には刺青と思われるデザインが見つかっているし、魏志倭人伝によると弥生時代の日本人(倭人)はこんな感じだった。
「倭では、男子は成人も子供もみな顔や体に入墨をしている」
「倭の水人は海中に潜って魚や蛤を捕え、体に入墨して大魚や水鳥から身を守ってきたが、後にはやや飾りとなった。倭の諸国の体の入墨は、国々によって左右や大小などにちがいがあり、身分の尊卑によっても異なる。」
くわしいことは弥生ミュージアムのホームページで。
刺青は日本の伝統文化ではないけど、古代文化ではある。
だから広い範囲で見ると、小林選手のしていることは縄文・弥生時代の日本文化を復活させること、つまりルネッサンスだ。
新しいように見えて、実はおそろしく古い。
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中国文化の日本文化への影響②日本風にアレンジした5つの具体例。
>刺青は日本の伝統文化ではないけど、古代文化ではある。
>だから広い範囲で見ると、小林選手のしていることは縄文・弥生時代の日本文化を復活させること、つまりルネッサンスだ。
ルネッサンス(文芸復興)をそのような軽薄な意味付けに例えるのは、欧米人に失礼だと思われます。
あれのどこが文芸? 強いて言えば単なる「懐古風俗趣味」であり、日本人では多くの場合は外国人の「サル真似」であり、趣味が悪いです。自国の文化・慣習を大事にすべきだと思う。
格好だけで実力が伴わない運動選手なんぞ、カッコ悪い。
なお、ヨーロッパのキリスト教諸国(特にカトリック)では、神様に与えられた人間の体を加工することは「野蛮人のしわざ」とみなされます。したがって、ある程度レベル以上の社会階層に属する人間は、入れ墨も、包茎手術もやりません(そのことがすぐ分かるよう陰毛は全剃している)。包茎手術をしないことは、ギリシャ彫刻やルネサンス彫刻を見てもわかる通り、ヨーロッパ文化においては、キリスト教徒とユダヤ教徒・イスラム教徒を区別する根拠にさえなっています。
それもひとつの見方ですね。
>ヨーロッパのキリスト教諸国(特にカトリック)では、神様に与えられた人間の体を加工することは「野蛮人のしわざ」とみなされます。
私はキリスト教と刺青の関係に興味があって、いろんなヨーロッパ人に話を聞いてきましたがこれは初耳です。
社会的に高い立場の人のあいだで刺青が避けられる傾向はありますが、その理由が「野蛮人のしわざ」ということはどこで確認できるでしょうか?