【褒めて隠せ】現代の日本でも通用する“鎌倉武士の女性観”

愛知県犬山市には、さまざまな猿を飼育している「日本モンキーセンター」がある。

最近、ここのスタッフがSNSでかなり「攻めた」投稿をして、批判が殺到する騒ぎに発展した。

ある女性がここにいるサルの「モップ」を見にきて、飼育員がこんなツイートをした。

「『モップくんが大好きなんです!』と来園してくださる方は素敵(すてき)なお姉さまばかりだと思っていましたが、なんと!本日初めて『女子』にお会いしました!!」

年齢で女性をからかっているような内容に、「これって女性蔑視では?不快なんだけど」といった抗議の声が集まり、モンキーセンター側はホームページ上に「多くの方を傷つけた事実に弁解の余地はない」と謝罪した。

鎌倉時代の武士だったら、こんな女性を侮辱したり、差別するような言い方をしなかったと思われる。

 

これから、鎌倉時代の女性に対する武士の見方を紹介しよう。

幕府と朝廷が激突した日本の歴史上、唯一の戦いが13世紀におきた承久の乱。
このとき総大将をつとめて朝廷側を圧倒し、その後の武士(幕府)による全国支配を確立したのが北条泰時だ。

泰時には北条重時(しげとき)という弟がいた。
重時は第3代執権の泰時から第5代執権の北条時頼を補佐して、鎌倉幕府による政治の安定に大きく寄与した人物だ。

重時の統治は民心を重視した公平・中立なもので、当時の日本人から高い評価を受けていたという。

任務に対して迅速・公平・厳格に務めた。重時の念仏信仰を攻撃した日蓮も、重時個人の人物については「極楽寺殿はいみしかりし人」(立派な人物)と好意的な見方をしている

北条重時

*極楽寺殿は重時のこと。

 

北条重時は「極楽寺殿御消息(ごくらくじどのごしょうそく)」という武家の家訓をつくったことでも知られている。
これを見ると、当時の武士の理想とする考え方や行動がわかるという。

彼の家訓からは、頼朝およびその周辺の武士たちの生き方が強くにじみ出ていると思ってよい。

「日本人とは何か。山本七平 (PHP文庫)」

 

この家訓の中には、「女わらべとて、いやしむべからず。天照大神も女躰にておはします」という文がある。
天皇の先祖神である天照大神は「女」だったのだから、相手が女や子供だからといって侮辱してはいけないと北条重時は説く。

先ほどの『日本人とは何か』によると、重時は武士に対し、女性には次のように接しろと説いている。

「いかなる賤の女なりとも、女の難をいふべからず。(中略)よき事をば申も沙汰すべし。あしきをかくし給ふべし。是を思ひわかぬ人は、わが身にはぢがまし事有べし。すこしも高名ならず。」

だいたい次のような意味になる。

「どんなに身分が低い女性であっても、その女性の欠点や悪口を言ってはいけない。(中略)その人の良いところであれば、口に出して評判にしてあげるのも良い。
しかし、悪いところは(他人に言わずに)隠してあげなさい。

この道理を理解できず(女性の悪口を言いふらすような)人間は、結果的に自分自身が恥をかくような目にあうはずだ。
そのような振る舞いは、少しも名誉なことではない。」

 

「女・子供を軽く見てはいけない」
「どんな女性にも配慮して、その美点だけを口にしなさい」

鎌倉時代の武士の女性観は、そのまま現在の日本にも通用するはずだ。

ほかにも、近くで葬式があったら、決して笑い声を立ててはいけないといった教えもある。
重時は全国の武士に対し、争いのきっかけを作らないよう、周囲に配慮して行動することを求めたのだ。

北条重時が残した「極楽寺殿御消息」は、現代の日本でも炎上対策の資料として役立つのでは?

 

 

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

コメント

コメント一覧 (1件)

  • 確かに、幕府方の総大将となって朝廷側を一撃で粉砕したのは、北条重時です。
    でも承久の乱が起きるきっかけとなった「武士よ今こそ立ち上がれ!源氏の恩を忘れるな!」とばかりに檄を飛ばしたのは、既に政治の一線から身を引いていた「尼将軍・北条政子(北条重時の父方伯母)」であったと聞いています。
    北条重時がことのほか女性を尊重するよう説いたのは、おそらく、北条政子のそのような活躍を若い頃から目にしていたことの影響もあったのでしょうね。

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