国土の7割が森林という日本と違って、6割が沙漠のイスラエルの気候は全体的に乾燥していて飲み水の確保がむずかしい。
京都旅行で出会ったイスラエル人の話から、前回そんなことを書いたわけですよ。
今回はこの延長で、さらにきょう11月10日は「井戸の日」だもんで、日本でもキャンプファイヤーなんかでよく踊る「マイム・マイム」の正体について書いていこう。
*1110で「いい井戸」と読むことから、井戸の日になったらしい。
なにか文句があったら「全国さく井協会」に言ってほしい。
そのイスラエル人の話によると、乾燥した大地の広がるイスラエルでは昔から飲み水の確保に苦労していた。
ジメジメ蒸し蒸しの日本と違って、カラッとした気候のイスラエルには南部にネゲブ砂漠が広がっていて、そこはもう水のないカラカラ状態で日本にはない「ワジ」(涸れ川)がある。
日本の川は春夏秋冬の一年中、水が流れ続けているけど、アフリカやアラビア半島などの砂漠や乾燥地方にある川はそうではなくて、雨季になって豪雨が降るとその時だけ川に水が流れるのだ。
それ以外の時期はこんなふうに干上がって川底がむき出しになっているから、涸(か)れ川と言われている。
イスラエル・ネゲヴ地方のワジ
そんなイスラエル人の話を聞いていて、頭に浮かんだのが「マイム・マイム」。
日本の学校でよく行われるこの有名なフォークダンスは、どの女子(男子)と手をつなぐのかドキドキするイベントなのだけど、これはもともとイスラエル(古代ユダヤ人)の歌なのだ。
マイム(mayim)とはヘブライ語で「水」という意味で、「マイム・マイム」は開拓地で水を掘り当てて「水だ!水が出たぞ!」と歓喜する人たちの様子を表す歌だった。
「マーイム、マーイム、マーイム、マーイム マイム、ベッサッソン」の「be-sasson」は「喜びのうちに」というヘブライ語で、この歌詞はユダヤ教の聖典・旧約聖書に書かれている。
具体的にはイザヤ書第12章に「U’sh’avetem mayim be-sasson Mi-ma’ayaneh ha-yeshua」(あなたがたは喜びをもって、救いの井戸から水をくむ)という言葉がある。
「マイム・マイム」はもともとは乾燥したところに住み着いた開拓者たちが、水を掘り当てて歓喜雀躍(かんきじゃくやく)する姿を表す歌だったけど、近年になって、ヨーロッパで虐待を受けたユダヤ人がイスラエルの地に自分たちの国を作ろうとするシオニズム運動に重なった。
シオニズム運動によって全世界から現在のイスラエルの地に戻ってきたユダヤ人が「国を建て、新しい息吹きのもとに未開不毛の地に希望の「水」をひいて開拓にはげむ喜び」をあらわした歌であるとされている。
イスラエルの大地
水がないと人は死に絶えるしかない。
日本でも飲み水の確保に苦労したことはあると思うけど、古代ユダヤ人が、いまの中東の地でこれを手に入れる苦労は日本人の想像を絶するはず。
だから水を掘り当てると喜びを爆発させ、踊り出したのだろう。
旧約聖書にはこんな井戸堀りの歌もある。
井戸の水よ わきあがれ人々よ この井戸のために歌え 笏と杖をもって つかさたちがこの井戸を掘り 民のおさたちがこれを掘った
「聖書の常識 (講談社文庫) 山本七平」
*笏(しゃく)と杖(つえ)
ここで話を京都で知り合ったイスラエル人に戻そう。
「日本でマイム・マイムは有名です。現在のイスラエル人もこれを踊りますか?」と聞くと、「え?本当?もちろんイスラエルでは有名だけど、なんで日本人もこの歌を知ってるの?」と驚く。
もしイスラエルの学校で「かごめかごめ」を踊っていると知ったら、きっとボクも同じ顔をする。
「マイム・マイム」が現在のようなフォーク・ダンスとなったのは、1937年にエルス・ダブロンという振付師が踊りをつけてから。
日本には太平洋戦争のあと、日本を占領したGHQのたぶんアメリカ人によってこの歌と踊りが紹介され、各地に広がっていった。
当時の文部省が全国の教育委員会を通じて、フォークダンスを広めようとしたことも大きい。
いま日本で踊られているマイム・マイムの振り付けは、1963年に来日したイスラエル人女性グーリット・カドマンが日本人に指導して定着させたものだ。
みんなで手をつないで輪になって、「マイム マイム、ベッサッソン」と歌いながら小さい輪になるのは、水の出た井戸に駆け寄っていく様子を表現したものという。
そんな背景を日本旅行に来たイスラエル人が知ってるはずもなく、「え?本当?」とビックリすることになる。
日本人のばあい「マイム・マイム」ならみんな知ってるだろうけど、これがイスラエルのヘブライ語であることを知ってる人はどれだけいるか。
これが本場のマイム・マイム
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マイム・マイムですか、懐かしいなぁ。イスラエルが発祥の地であるとはついぞ知りませんでした。
昔の中学校では、フォークダンスだけでなく、たとえばバスケット・ボールでの足の運びの練習なんかにも「速足マイムステップ」が取り入れられていたものです。慌てて動くと足が絡まってよく転びました。