むかし中国を旅行していたとき、お世話になった日本語ガイドからこんな話を聞いた。
「唐の時代の文化はいまの日本にあって、明と清の文化は韓国にあります。中華民国の文化は台湾へ行ってしまって、中国に残ったものは文化大革命で全部壊してしまいました。だから、いまの中国に中国文化は残っていないのですよ」
むかしの中国人は自国の文化や伝統にあまり価値を感じなかったから、自らの手でそれを壊してしまい、貴重な文化財が失われてしまった。
それに対して日本人はそれらを大事に考えていたから、いまでもとてもいい状態で保存されている。
もちろんこれは大げさな表現で、中国の博物館には素晴らしい文物がある。が、自嘲気味にこんなことを言う中国人には何回か会ったことがある。
こういう見方をする中国人は多いらしく、最近、中国メディアのテンセントが「中国文化はほとんど保存されておらず、日本にしかない! 真剣に反省せよ」という記事を掲載した。
サーチナの記事(2020-11-24)
日本を見て反省せよ! 古代中国の文化は日本にしか残っていない=中国メディア
中国で放送された唐時代のドラマ「長安二十四時」では、衣装デザインを担当したのは黒澤明の長女でデザイナーの黒澤和子さんだったという。
そのことに触れて記事はこう訴える。
「なぜ、中国の時代衣装のデザインを日本のデザイナーに依頼しなければならなかったのか。それは、中国が日本ほど伝統文化を大切にしてこなかったからだ。」
日本のアニメ制作で中国人スタッフが関わることはあるけど、時代劇で日本人の着る伝統衣装を外国人にまかせることはないだろう。
西安にある秦の始皇帝の墓・兵馬俑
では、なんで中国では伝統文化が保存されてこなかったのか?
日本では文明開化を進めていた明治時代、欧米の文物を積極的に取り入れる一方、日本独自の文化が失われないように、19世紀後半から「国宝」や「重要文化財」を認定して保存しようとする動きがあって、それがいまにつづいていると記事は言う。
それに比べて中国では、国による文化財の保存運動があまりなかったということで、「自国の文化を大切に保存しようとしてきた日本政府は見識がある。我々はこうした態度から真剣に学ぶ必要がある」と主張する。
なるほどなるほど。
古代の日本人は中国からいろんなことを学んだし、いまは中国人が日本に学ぶことがあるのなら好きなだけ吸収してくれ。
さて上の記事にあるのは19世紀以降の話なのだが、それ以前の歴史をみても日本で伝統文化が残され、中国では消えてしまった理由がわかる。
その違いをひと言でいえば、易姓革命の有無だ。
隋・唐・宋・元…と中国の歴史は、皇帝を倒して別の人間が新しい皇帝となって王朝を開く革命のくり返しで、そのシンボルは皇帝の姓がかわることだった。
例えば隋から唐になったときには前皇帝の「楊」の一族は完全に滅ぼされ、初代皇帝の李淵から始まる唐王朝は、李一族が中国を支配する時代となった。
こんな感じに「皇帝の姓をか (易) えて、天命をあらた (革) める」王朝交代のことを易姓革命という。
この革命時には、いまなら国家が保存すべき超貴重な文化遺産を「前王朝の遺物」として、徹底的に壊されることが当たり前だった。
過去の王朝とのつながりを断つことは新王朝にとって必要不可欠だったから、この破壊行為はもう義務のようなもの。
10世紀に朱全忠が唐を滅ぼしたときには、都の長安にいた住民を洛陽に強制移住させて、歴史的建造物の宝庫だった長安を廃墟にして建物の残骸を川に流してまう。
また昔の中国では、皇帝が豊かな収穫を神に祈願するための社稷(しゃしょく)壇という重要な建物があった。
社とは土地神を祭る祭壇、稷は穀物の神を祭る祭壇のことで、社稷はその総称。転じて、国家を意味するようになる。
易姓革命のときには、これも地上からキレイに消された。
中国では戦争に勝つと、戦いに勝利した国が敗北した国家の社稷の祭壇を破壊し、周囲の森を斬り拓いて天地のつながりを絶ち、前の王朝の廟や墓を破壊して祭祀を滅することによって、すなわち国家を滅ぼすこととされた。
20世紀になって辛亥革命が起きて、中国から皇帝も易姓革命もなくなったのだけど、せっかく生き残った仏教や道教の寺院など貴重な文化財の多くが1970年代の文化大革命で失われた。
そんな中国に対して日本では古代から現代まで天皇家がつづいているように、易姓革命が起きることはなく、前王朝の全てが徹底的に破壊されるようなこともなかった。
この歴史に延長に「中国の文化は日本にしか残っていない。日本を見て反省せよ!」という現代中国人の指摘があるのだ。
おまけ
西安よりは古き良き中国を感じられた洛陽
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