昭和の時代に見たマンガでこんな場面があった。
あるキャラクターが書類にあった「男・女」の性別欄の真ん中に〇を付けると、別のキャラから「そんなヤツいるかっ」と後頭部をぶっ叩かれる。
当時のギャグはいまでは差別。
令和の時代にこんなシーンを描いたら大問題になって、作家と出版社のジャンピング土下座は免れない。
性をめぐる認識は日本でもイギリスでも大きく変わっている、というのが今回のお話。
日本の学校で英語を教えていて、いまは母国で生活しているイギリス人と先週話をしていたとき、彼女の子どもが通う学校へ提出する書類を見て驚いたという。
その書類には性別を記す欄が4つあったから。
ではここでクエスチョン。
4つの性別欄とは、男性・女性のほかはいったい何と何でしょう?
答えは「どちらでもない」と「言いたくない」。
男でも女でもなく、いわゆる第三の牲の人もいるし、そもそも自分の性別を伝えたくないという人もいるから、性別蘭は4つ必要になる。
女性同性愛者のレズビアン、男性同性愛者のゲイ、男女問わず両性愛者のバイセクシャル、そして身体の性と自分の認識が一致しないトランスジェンダーの頭文字をとって「LGBT」という。
知人のイギリス人もいまではLGBTの人たちへの配慮として、「どちらでもない」はあると思ったけど、4つ目は想像外で社会の変化の早さにビックリしたと言う。
さて、いま「コクヨ 履歴書」と入力すると、こんな言葉が関連ワードとして出てくる。
コクヨが日本初となる性別欄のない履歴書をきのう(12月23日)に発売して、その発表があったころから話題になっていた。
ボクも昨今の社会の流れからして、第三の牲に対応した種類は出てくるとは思っていたけど、性別欄自体をなくすという発想はなかった。
先ほどの4つの性に当てはめれば、これは「言いたくない」に相当する。
性別欄を4つにしたり、消去したりと対応の違いはあっても、世界的に人々の意識は確実に変化しているようだ。
「どちらでもない」は、ほとんどの場合は嘘になりますね。少なくとも生物学的には事実に反するでしょう。正確には「どちらにも所属したくない」ですかね。「言いたくない」なら性別欄にチェックしなけりゃ済むことでしょう。それをわざわざ宣言させるところが、いかにもアングロサクソン的・個人責任論的な発想だな。
もしも性別情報が不要であるなら、性別欄そのものをなくしてしまう方が合理的ですよ。第三、第四の欄へ記入すること自体、差別につながるとは彼らは考えないのだろうか? 欧米人の考えは馬鹿げているな。考え過ぎで、当初目的を見失っているんじゃないですかね。
本当に性別情報が必要ならば、男性・女性の2つに区分すべきであり、応募者がその情報を与えたくないなら、そんなところに応募するべきではないでしょう。またもしも、LGBTの人が一定数だけ必要ならば、そのように第三の欄を設けるべきです。書類の目的にもよりますが。。
ちなみに日本の公共トイレは最近「どなたでも」という個室が増えてきて、対応できるようになってきましたね。非常に合理的な解決策だと思います。この点、外国はまだまだらしいですが。
その一方で個室(多目的)トイレまで男性・女性に分けているところもありますが、あれはどうして?