1月8日は「勝負事の日」。
なんで1と8で勝負の日になるかというと、成功するかどうかは神にまかせて、思い切ってやってみる!という意味で「一か八か」という慣用句があるから。
日本人は語呂合わせが得意らしい。
「フクロウ」を「不苦労」と読んでラッキーアイテムにしているのを知って、「なるほど!」と感心した知人の台湾人がよくそんなことを言っていた。
こんな感じにいろんなものをこじつけるから、毎日が記念日になる。
さて、きのう大きな勝負に出たのは日本政府。
新型コロナウイルスの感染拡大が止まんなくて、東京など1都3県を対象に緊急事態宣言を発表して、飲食店などには営業時間の短縮を求めた。
「この厳しい状況を国民の皆さんの協力をいただきながら、何としても難局を乗り越えていきたい」と協力を求める菅首相に対して、ネットで見る限り、国民の皆さんはわりと冷めていた。
・コロナなんてほっときゃ良いんだよ。どうせ春には自然終息するんだから。
・勝負の3週間はどうなりましたか?
・まあ政治家は自分の懐が痛まないからな
・日本は大丈夫やで
・変異種の感染力を考慮せずに四月の緊急事態宣言より緩い自粛で何とかなると思ってんのか
・神風が吹くのを待ってるだけなのは対策とは言わない
日経新聞の記事によると、今回の緊急事態宣言によって1~3月期の消費は約1兆円なくなるという。
政府にとっては政権支持率を直撃する、下手したら菅政権を吹き飛ばす、一か八かの大勝負に出たことになる。
ところで、一世一代の大勝負の場で使われる数字はなんで1と8なのか?
1と10、2と3ではダメなのか?
これは数字への差別では?
この言葉の由来は昔の日本で行われていた賭博にある。
「一か八か」は当たり・外れの2つに1つだから、もともとギャンブルの用語だったというのはまったく違和感がない。
この語源についてよく言われるのは「1か罰か」というものだ。
サイコロを使って行う賭博で、自分の賭けていた1の目が出れば大金をゲットできるし、ほかの目が出ればかけ金は没収される。
それで「1か罰(=それ以外の目が出る)」となり、そこから「一か八か」がうまれたという説がある。
だから八は「バチ(罰)」と読むらしい。
これと別に、サイコロの目が丁(偶数)か半(奇数)かで勝ち負けを決める丁半賭博に由来するという説もあり。
丁の字から「一」、半から「八」という字を取って「一か八か」という言葉ができたというものだ。
*むかしの漢字(旧字体)の「半」では、上の部分が「\ /」ではなくて「/ \」の八の字だった。
「絆」は旧字体のままだから、「/ \」になっている。
平安時代に絶大な権力をもっていた白河法皇が「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたという。
鴨川の水の流れ、双六のサイコロの目、比叡山延暦寺の僧兵だけは自分の思い通りにならないと、平家物語の中で白河法皇が言っている。
どんなサイコロの目が出るかは神の領域だから、人間は運を天にまかせて賭けるしかない。
それか生き方を改めよー。
ということで「一か八か」の由来はサイコロを使った賭博行為にあるから、成功か失敗か、0か100かの大きな勝負事の慣用句は1と8となったワケだ。
ちなみに賭博で、賭けた数字と反対の目が出たときは「裏目に出た」という。
1の反対は6,2の反対は5だから数字は関係なくて、自分の願いと逆の結果になったら「裏目」になる。
「財、貧、販、買、貯、費」とお金に関する漢字には「貝」がよくある。
これは昔、貝をお金の代わりに使っていたから。
負もそのひとつで上の「ク」は人を表していて、「負」は勝負に負けた人がお金(貝)を払うことを意味するのだ。
政府の緊急事態宣言が裏目に出て、国民が大負けしないことを願うばかり。
こちらの記事もどうぞ。
台湾人がアニメを見て感じた「日本と台湾の学校との違い」とは?
>政府の緊急事態宣言が裏目に出て、国民が大負けしないことを願うばかり。
ふーん、そうですか。私は逆ですね。
政府の緊急事態宣言が所定の効果を発揮して、感染率が低下することを願うばかりです。
感染症が蔓延して多数の犠牲者が発生しても、あるいは感染防止対策が徹底されて経済活動が沈滞しても、どのみち行政・政策担当者は非難されますから同じこと。対策するのであればそれが効果を発揮してほしいです。
裏目には出てほしくない。
「裏目には出てほしくない。」ということであれば気持ちは同じです。
>政府の緊急事態宣言が裏目に出て、国民が大負けしないことを願うばかり。
ああ、なるほど。日本語の表現が不正確であるためにブログ主さんの意図を正しく解釈できなかったようですね。
(1) 政府の緊急事態宣言が裏目に出て(出てしまって)、(感染防止の効果はそれなりに得られたが)国民が大負けする(というマイナスの結果の方がトータル的には大きかった)、そういうことの無いように願うばかり。
(2) 政府の緊急事態宣言が裏目に出て、国民が大負けしないことを願うばかり。つまり政府の宣言が裏目に出ることと、国民が大負けしないことの両方を願うばかりであると。
これ、日本語に特有の欠陥であり、特に外国人にとっては非常に難しいのですよ。外国人だとおそらく(2)のように解釈する人の方が多いのではないかな? 私は外国人ではありませんが、読点(、)の位置に引っ張られたので(2)のように解釈してしまいました。ちなみに英語だとこういう文章は作れません。副詞notやnever(=大負けし「ない」)の位置が文章の先頭の方にあるので。
(1)のような解釈をするには、「この文章の書き手が『政府の宣言が裏目に出る』なんてことを願うはずがない」という考え方が前提条件として必要です。つまり「行間を読め」といういことですね。
日本語はめんどくさいなぁ。
国民が大負けするのは、政府の対策が裏目に出たときだけです。