「縁起でもない」「それは不吉だ」という日本人の発想が今回のテーマなんで書かせてもらうが、もし自分が新型コロナウイルスに感染したとしたら?
大阪ではその場合、市から患者へ、自宅待機での注意事項を伝える書類が発送されることになっている。
そして大阪市では収入アップのため、市の封筒には広告を掲載している。
いま大阪では上の2つが不幸なドッキングをしてしまって、感染者が怒って市は平謝りの状態らしい。
朝日新聞社の記事(2021/01/30)
送る際、葬儀業者の広告が印刷された封筒を使っていたことが29日、分かった。市保健所の担当者は「軽率だった。受け取った方の気持ちを考えると大変申し訳ない」としている。
コロナ感染者への封筒、葬儀業者の広告 大阪市が陳謝
コロナに感染してショックをうけているところに、「お葬式の相談は〇〇へ」「はじめての終活セット」とでっかく書かれた封筒が届いたとしたら、まぁ文句のひとつも言いたくなるわな。
この記事にネットの反応は、「これはヒドイ!」から「気にしすぎ」までイロイロ。
・落ち度は行政なのに葬儀社が叩かれてるのはひどい
・葬儀会社の広告だけは受け付けませんてわけにはいかないし
・デジタルマーケティングのAIがこういうのやらかしそう
あなたにお勧め広告みたいだな
・大阪って面白けりゃ大抵のことは許されるよな
・俺なら事前チェックして、これヤバイっすよ!wwwって上司に言うが。
・これくらい許してやれ
・お前ら笑ってるが実際に自分がコロナになってこんなん来たら目くじらを立ててSNS拡散希望とか書き込むんだろ?
「不幸は友だちを連れてくる」とはよく言ったもので、この広告に載っていた会社の電話番号に「567」という数字がふくまれていたことも、騒ぎを大きくする一因となった。
この騒動の核心は誤解ではなくて「迷信」だ。
広告内容とコロナの感染はまったく別もので、掲載された企業によって患者の症状が良くなるとか、感染拡大にブレーキがかかるということはない。
客観的には両者は無関係でも、主観的には大問題となる人もいる。
自分や身内が苦しんでいるタイミングで葬儀屋の広告を見たら、見せられたら、縁起が悪くて不快な気分になるのも仕方ない。
事実コロナによって、毎日何人も亡くなっているのだから。
さて、東京都葛飾区には「亀有(かめあり)」という地名がある。
亀有駅
『こち亀(こちら葛飾区亀有公園前派出所)』の舞台になったことでも有名なところ
昔このあたりは低湿地帯だった。
秋になってお米ができると、ワラをかけて干していて、その様子がカメの甲羅の凹凸に似ていたという。
実際にはそこにカメはいなかったけど、カメの甲羅を連想させる(成す)光景だったことから、その地には「亀無」という名前が付けられた。
でも「無し」は縁起が悪いので、いまの「亀有」になったという。
この地名は「無し」に通じて縁起が悪いとされ、江戸時代初期(1644年頃)に『正保国絵図』を作成する為の報告書提出の際、現在の名に改められた。
たくさんのカメが生息していたことを由来とする説もあるが、よく言われるのは上の説。
葛飾区の「郷土と天文の博物館ブログ」にも同じ内容の記述がある。
記録に残る最初の地名が「亀無」→無しは縁起が悪いので「亀梨」を経て→現在の「亀有」になったんですね。
「カメなし」が「カメあり」に変更されたのは日本人の迷信による。
しょせんは迷信、されど迷信。
「縁起が悪い」、「それは不吉だ」といった印象はその人に直接影響を与えるから、それを無視することはできない。
そんなことをしたら、あとから「軽率だった。受け取った方の気持ちを考えると大変申し訳ない」と謝罪しないといけなくなる。
「無」を「有」にすればOKだったように、広告を葬儀業者から、たこ焼き屋や水族館とかに変えれば問題はないはずだ。
この点での日本人の発想は昔から変わらないから。
ちなみに迷信は世界中にある。
欧米や中南米などキリスト教の影響が強いところでは、不吉な数字として「13」、悪魔を表す数字として「666」が嫌われている。
だからアメリカのある競馬場では、13を避けて「12A」になった。
発想としては「亀有」と似ている。
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不吉であるとして嫌われる数字のことを、「忌み数(いみすう、いみかず)」と言います。
「666」が忌み数であるのは、新約聖書のヨハネ黙示録からですね。智慧ある者は獣の数字を数えるがよい、その数字は666である。・・・映画「オーメン」の最後のナレーションより。
これに対して「13」の方は、なぜ忌み数とされるのかどうも根拠がハッキリしない。Wikipediaによると次の通りです。
> キリストの磔刑の日が13日の金曜日、ユダが13番目の弟子などは俗説で、聖書に処刑の日を特定できる記述はない。ユダが「12人の弟子の一人」であるとはっきり書かれており、13番目の弟子という説は成り立たない。ユダが抜けて替わりが入ったという記述もない。
私が思うに、・・・「12」は約数(割り切れる数)が多い(1、2、3、4、6、12)ので、特に欧米では、古くから「12進法」のように1まとまりの単位としてよく使われてきました。例えば、1ダース(=12個)、1年(=12ヶ月)、1日(=半日12時間✕2)、1フィート(=12インチ)、1オクターブ音程(=半音周波数比を12乗した周波数比で丁度2倍の周波数比に相当、同じギターの弦だったら長さ2倍の波長に相当)のように。ところが次の「13」は素数ですから、1と自分自身13以外に約数がありません。何とも扱いにくい数、計算しづらい数であるため、昔から人々にずっと嫌われてきたのでしょう。それが後世、キリスト教に屁理屈で結び付けられたのではないかと。