ビルマ独立を支援した日本/アウンサンと鈴木のいた浜松

 

つい最近「餃子日本一」になったわが浜松市には、ビルマ(ミャンマー)との友好を記念する石碑がある。
これを知ってる人は少ないと思う。が安心してほしい、浜松市民でも知らない人はけっこう多いから。
でもいまこそ、この記念碑を多くの日本人やミャンマー人に紹介したい。

 

 

今月1日、ミャンマーで軍事クーデターが発生して、事実上のトップにいたアウン・サン・スー・チー氏はいま自宅に軟禁されている。
きょねん11月に行われた総選挙で与党・国民民主連盟(NLD)が圧勝したことで、国軍は相対的に力を失った。
その選挙で「不正があった」と主張する国軍は、スー・チー国家顧問やNLDの関係者を拘束して全権を手中に収める。
2011年に民主化されたミャンマーが、たった10年で国軍支配の時代へ戻ってしまった。

民主主義を力でねじふせた国軍に対して欧米諸国は激怒し、制裁をちらつかせる一方で、日本政府はいまかなり困っている。
日本はこれまでミャンマー国軍と良好な関係を築いてきたから、それは維持したいと思うだのけど、バイデン米大統領は制裁発動を警告するし、欧州連合のミシェル大統領も「クーデターを強く非難する」と言うなど欧米は軍政との対立姿勢を鮮明にしている。
ということで、その間にはさまれた日本は苦しい立場に立たされた。

国軍とも欧米とも比較的うまく立ち回ってきた、これまでの日本の「独自外交」はもはや通用しないかもしれない。

時事通信社の記事(2021/02/07)

対ミャンマー外交に関し、日本は「独自色」(外務省関係者)を貫いてきた。07年の民主化運動弾圧で欧米各国が制裁を強化した後も、日本は軍政との関係を切らさず、民生部門を中心に支援を継続した。

政府、対ミャンマーで苦慮=米国とスタンスに開き

 

日本政府は「重大な懸念」を表明したものの、制裁については何も言っていない。
今後もし、アメリカやEUが制裁に傾けば、日本も参加せざるを得ない状況だ。

 

 

ミャンマーってこんな国

・面積:68万平方キロメートル(日本の約1.8倍)
・人口:5,141万人
・首都:ネーピードー
・民族:ビルマ族(約70%)、その他多くの少数民族
・言語:ミャンマー語
・宗教:仏教(90%)、キリスト教、イスラム教等

外務省ホームページ「ミャンマー連邦共和国 基礎データ」から。

19世紀にイギリスの植民地となったミャンマーは1948年に独立を達成。
このときの日本の支援がいま浜松市にある友好の碑の建立につながった。

 

地元の人が毎日(か定期的に)、花を供えている。

 

太平洋戦争中、ミャンマーはビルマと呼ばれていたから、ここではそう書くことにする。

当時、イギリスから独立したかったビルマ人と、イギリスと戦っていた日本との利害がピッタリ一致する。
それで日本はイギリスの植民地だったビルマに鈴木 敬司(すずき けいじ:1897年 – 1967年)を送り込み、独立運動をしていた若者30人を日本へ連れてきて、東京の陸軍中野学校で軍事訓練を受けさせた。
このとき日本の特訓を受けた若者がのちに「30人の同志」として、ビルマの独立伝説で語られることとなる。

 

日本軍の訓練を受けた「30人の同志」

 

そして彼らを中心に、70人以上の日本人も参加して「ビルマ独立義勇軍」(BIA)が結成された。
このとき鈴木 敬司が義勇軍の司令官になり、ビルマから鈴木と行動を共にしていたアウンサンが参謀となる。

ビルマ独立のために日本兵と義勇軍が戦い、イギリス軍をビルマから追い出すことに成功した。
もちろんその主役はビルマ人で、日本はそれ助力しただけ。
それに日本のねらいはアメリカやイギリスに勝つことで、ビルマ人の願いと完全に同じだったわけでもない。
だがしかし、対イギリスでは日・ビの思惑は合致していたし、結果的に日本がビルマ独立を支援したことは間違いない。
でもその後、ビルマ側と日本は対立して戦闘状態に突入し、最後はアメリカに降伏した日本が撤退した。
この独立義勇軍はそのまま現在のミャンマー国軍となる。

 

ビルマに自由をもたらしたアウンサンは、ミャンマーで国民的英雄として尊敬を集めている。
この「ビルマ建国の父」の娘が、いま自宅軟禁の状態にあるアウン・サン・スー・チー氏。

 

アウンサンが描かれたミャンマーの紙幣
この軍服はおそらく日本軍のもの

 

最後に日本との対立はあったけれど、恩義は忘れていない。
現在でもミャンマー国軍で日本の軍歌が歌われているのは、独立戦争でサポートを受けたことによる。

これは防衛省・東京音楽隊のHPにある記述。

日本軍によって行われた教育はすべて日本語でした。その際に、多くの日本の軍歌も覚えました。中でも一番気に入ったのが「軍艦」のメロディーだったのでしょう。ミャンマー語の歌詞を付け、未だに歌われているのです。

世界における行進曲「軍艦」 

 

独立に貢献したことを称えられた鈴木たち旧日本軍人7人は、ミャンマー政府から1981年に国家最高の栄誉「アウンサン・タゴン(=アウン・サンの旗)勲章」を授与された。
ただミャンマーが感謝しているのは日本という国よりも、ビルマ独立のために一緒に汗を流したこうした日本人だという指摘がある。
とはいえ、彼らにそうするよう指示して金銭的なサポートしたのは日本政府で、鈴木は日本軍の軍人だったのだから、そのへんの線引きは個人の見方による。

 

2019年にミャンマー国軍の将官約10人が日本へやって来た。
この中のタン・トゥン・ウー中将がジャーナリストの野嶋剛氏とのインタビューでこう語っている。

ニッポンドットコムの記事(2019.09.09)

「鈴木大佐のことは、国軍に入る前から知っていました。われわれの独立に大きな貢献をしてくれた恩人です」。タン・トゥン・ウー中将は「恩人」という言葉で、鈴木大佐を言い表した。

ミャンマー特集(7) 戦争をめぐる「美談」を超えて新しい関係へ

 

東京をあとにして、彼らが向かったのは浜松市。
浜松は鈴木敬司の出身地で、アウンサンも日本滞在中、ここでしばらく一緒に生活していたのだ。
それがきっかけとなって、浜松にある大草山の頂上に「ビルマゆかりの碑」がつくられた。
京都大学に留学していたアウン・サン・スー・チー氏も、父のいた浜松に行きたいと2回ほどやって来て鈴木の家族と面会している。

2年前にここへ来た国軍の将官もこの記念碑に深く頭を下げたという。
ここは鈴木とアウンサンが住んでいたところで、ビルマ独立の「原点」のひとつでもある。
そこにある日本とミャンマーの友好を願う碑は、国軍にとってもスー・チー氏にとっても重要なものだ。

 

さて最後に、現在のミャンマー情勢について。
もし欧米諸国が制裁を行って日本もそれに同調した場合、ミャンマー軍政は日米欧に背中を向けて中国との関係を深めるだろう。
日本が欧米と国軍の間でうまく仲介できれば最高なのだけど、現実的には「無理っ」と言っていいほどむずかしい。
ビルマのために行動したアウンサン将軍をはじめ、独立義勇軍の気持ちを少しでも国軍が考えてくれたらいいのだけど。

 

 

ボクは市内に住んでいるので、この「ビルマゆかり碑」には何度か足を運んだことがある。
1988年にミャンマーで国民的な民主化要求運動が行われたとき(8888民主化運動)、多くの在日ミャンマー人がこの記念碑に集まり、祖国の軍政が終わって民主化されることを願ったという話を聞いた。
この状況は2021年のいまとまったく同じ。

 

ビルマ独立を支援したことから、「日本版アラビアのロレンス」ともいわれる鈴木 敬司。
日本とミャンマーとの友好関係の基礎を築いたという評価もある。

 

 

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4 件のコメント

  • 南機関ですね。
    戦史を調べている人でしたらそれなりに知名度あると思いますが
    一般の人に知られているかと言うと微妙ですね。

    記念碑があるのは、中野学校二股分校で訓練を受けたのか鈴木大佐の出身地というご縁なのか
    どちらなんでしょうね。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E8%BB%8D%E4%B8%AD%E9%87%8E%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E4%BA%8C%E4%BF%A3%E5%88%86%E6%A0%A1

  • 実は、私の祖父・祖母が、静岡県西部に特に多く集まっている「鈴木家たち」の血を引く者です。叔父の一人は(別に鈴木敬司とは何も関係はなかったのですが)東南アジアへ出征して、そこで戦死しました。病死だったと聞いています。
    私自身は東南アジア諸国の中でもミャンマーへはまだ行ったことがないのですが、そんな縁もあって妙に身近に感じる国の一つではあります。あの国もこれから民主化と経済発展が徐々に進んでいくのかなと思っていた矢先、このような事態に陥ってしまったことはとても残念です。
    しかし、ミャンマー国軍の結束力はとても強いのですね。まるで国内に別の国があるみたいだ。国内異民族としてロヒンギャの問題も残ったままだし。
    ミャンマーにとっては、まだまだ当分、難しい局面が続きそうです。

  • ミャンマー人にとってクーデターは大問題で(まぁ当たり前ですが)、わたし個人にいろんな動画を送ってきます。
    民主化が実現するのを願うばかりです。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。