天皇が外出されることを「行幸」(ぎょうこう:みゆき)」という。
天皇が行幸されたところはそれを記念して「御幸町」と名付けられ、そんな地名が日本には全国各地にある。
前回そんなことについて書いたので、今回はそのオマケのようなもの。
「行幸」という表現は、天皇の訪れを感覚として「幸せがやって来る」とみているのだろう。
これは当然、訪問先の人間にとってはハッピーで、その逆の人間には不幸でしかない。
ここから以下は独断と偏見、それと京都に4年間住んでいたボクの経験と主観だが、京都人が東京に対して抱く複雑な心境、ハッキリ言ってキライなのもそれに由来している。
京都人が京都を特別視していることはもはや日本の常識だ。
京都で「ぎおんご」といえば、擬音語ではなくて「祇園語」を意味すると聞いた。
ボクが京都の大学から合格通知をもらったとき、そこには『上洛』と書いてあったから、思わず尊王攘夷の気持ちが高まった。
洛は中国の古都・洛陽のこと。
これは首都を表すことばで、京都には日本の首都を東京に「奪われた」とどこか悔しく思う人がわりといる。
繰り返すけどこれは主観ですよ。
大学時代、京都人から話をきくと、
「だって東京には歴史も文化もないし、日本の首都にはふさわしくない。関東にいる人はみんな田舎者だ。と言わはる人もいるそうですよ」
といやいやいや、絶対それおまえの心の声だろ、と突っこみたくなることを言う人もいた。
東京を首都と認められない京都人をネタとして、こんな説明をするサイトもある。
京都市民は「東京府が東京都やて?『ひがしきょうと』『京都の東』いう意味やんか!!」って怒りまくっている。「東京都」を「Eastern Kyoto」「ひがしきょうと」と訳するなら、「東京都」に相当する都市は草津市、若しくは京都市内であれば山科区か大津区のはずである。
ここまでストレートではないとしても、京都人に首都・東京のイメージをきくと、「京都に比べれば歴史が浅いし、まだ風格がない」「負けたくない、認めたくない」と言う人は多いだろう。
ただ京都人から本音を聞き出すのはかなりのスキルが必要だ。
かつて洛陽と言われた京都
話を行幸に戻そう。
日本の歴史上もっとも有名で重要な行幸は明治元年(1868年)と2年に、明治天皇が京都から東京(当時はトウケイ)へ移動した『東京行幸』で間違いない。
御簾(みす)越しとはいえ、江戸の庶民が天皇を見たのはこれが初めてだ。
明治政府にはこの行幸によって、民衆に天皇への親近感を持たせ、首都が変わって日本の新時代が始まることを知らせる意図があったはず。
東京行幸の様子
1度目の行幸で天皇が江戸城に入城し、東京城と改称された。
そのあと天皇は京都へ戻り、翌年また東京に入ったことをもって、東京が事実上の日本の首都になったのだ。
「東京を首都と認められない」という京都人にとってイタイのは、天皇が京都にいないこと。去ってしまったこと。
前に日本に住んでいるアメリカ人から、「江戸時代の日本の首都はなんで京都なのか?江戸じゃないのか?」と質問をされた。
たしかに政治が行われていたのは将軍のいた江戸で、京都にあるのは文化と「都」の名前だけ。
でも日本では天皇の所在地が重要になるから、江戸時代も首都は京都だったとこのときは言っといた。
大学時代に京都人から、いまでも天皇は東京へ行幸中で、日本の真の首都は京都と考える人がいるという話を聞いた。
この主張の根拠としてあるのが「奠都(てんと)」。
明治天皇が東京へ行ったのは首都を東京に移す「遷都」ではなくて、京都を都として残したままの「奠都」だったという。
実際、文部省が昭和16年に発行した『維新史』では、遷都ではなく「東京奠都」と表現している。
奠は「定める」「祭る」といった意味で、「移す」や「移る」の遷とは違う。
くわしいことはここをクリックされたし。
ちなみに日本の首都を東京と明確に定めた法令はない。
ようするに「日本の真の首都」の座をかけては、東京に負けたくないし認められない、という京都人の思いがこんな屁理屈につながったということだ。
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> 「東京都」を「Eastern Kyoto」「ひがしきょうと」と訳するなら、「東京都」に相当する都市は草津市、若しくは京都市内であれば山科区か大津区のはずである。
これ全然意味が分からないのですが。東の(=東日本に所在する)「京都」なのだから、東京で間違いないでしょ? どうしてそれが京都府内あるいは京都市内になるかなぁ。
ま、屁理屈とはそんなもんですが。
Eastern Kyotoを「京都の東」と解釈したのでしょうね。
マンガかなんかで「貴様はその家に生まれただけで貴様自身が偉いわけではない」ってのを思い出す
文化を継承するために努力してる人もいるのはわかるけど
まぁ観光客あっての京都ですから。
これはネタ話です。