【日蘭関係】オランダ人は浄化して、日本人は名誉を守った

 

きょうの話はどいつだ?
おらんだ。
ということでまずはオランダの基本を知っておこう。

 

 

面積:41,864平方キロメートル(九州とほぼ同じ)
人口:1,738.4万人(2019年)
首都:アムステルダム
言語:オランダ語
宗教:キリスト教(カトリック24.4%,プロテスタント15.8%),イスラム教(4.9%),ヒンズー教(0.6%),仏教(0.5%),無宗教・その他(53.8%)

数字は外務省ホームページの オランダ王国(Kingdom of the Netherlands)基礎データ から。

オランダはプロテスタントが多くて、カトリックを強制されたスペインから独立して成立した国。
だから信仰の自由は特に大事にされている。
「無宗教・その他」が50%以上もあるヨーロッパの国なんて、オランダ以外にどこがあるんだろう?

くわしいことはこの記事をどうぞ。

オランダの基礎知識!正しい呼び方は?独立と秀吉の天下統一

 

オランダは海に面する低地の国で、水面より低いところが国土の4分の1を占めている。
そんな「水の国」だから、治水や水資源の利用についての知識や技術が発達した。
オランダ名物の「木靴」もぬかるんだ地面を歩くには最適だ。

 

オランダからやってきて、いまは京都にいるポール・ペッピンさんは前から東本願寺を通るたびに、堀に浮かぶ藻(も)やただよう悪臭が気になっていたという。
それで浄水装置の開発や販売を仕事にしているペッピンさんは水をきれいにしようと、あるとき独自に開発した浄水装置を取り付けてみた。
するとみごと水は浄化されて、東本願寺もおおよろこび。
藻がなくなって悪臭も消えたことで、この浄化装置の正式導入を決めた。

京都新聞の記事(12/25)

ペッピンさんは「堀端で仕事をしていると『昔ここで泳いだ』と話すおばあさんにも出会った。また泳げるようなきれいな水をつくりたい」と話している。

堀の浄化に「水の国」オランダ人が奮闘 悪臭消え藻もきれいに 独自開発装置が奏功

 

これにネットの反応は?

・日本こそ世界有数の水の国なのに他国の力を借りるなんて情けない
・水が豊か過ぎて無駄にしちゃう日本と、 水が少なくて大事にするオランダの違いを分かってないよな
・京都人「あらまあ、ずいぶんとキレイにしてくれはったもんやなあ!」
・べっぴんってオランダ語由来なの?
・うちのお堀もやってみたいよ@名古屋 ほんとは木曽川の水を上流から流せばいいんだけど下流の海利権でなんもできずにどぶ堀になってる。
・これをお台場の海でやれ!
て言ってんのに東京都ときたら・・・・

じつはことしの夏、京都旅行をしたときに東本願寺に行ってきた。
そういわれてみれば確かに堀の水がきれいになっていた気がしたけど、それはオランダ人のおかげだったとは。
ただどんなにきれいになっても、伊勢神宮の五十鈴川のようにピュアになったとしても、京都駅から歩いて10分の立地で泳ぐことはもうできない。
明治とは違うのだよ。

 

 

日本とオランダの関係といえば、なんといっても江戸時代の交流があげられる。
いわゆる鎖国状態にあった日本が、唯一交流していたヨーロッパの国がオランダ。
いまでも日本語の中にはオランダ語由来の言葉があって、「ビール」はその代表例だ。

江戸時代、極東の島・日本はヨーロッパの戦乱とは無関係にあった。
だからオランダが戦争に敗れて制海権をうしなったあとも、日本では国旗があげられ続けていたのだ。

明治時代、福沢諭吉が慶應義塾の塾生にこう話している。
*纔か=わずか、嘗て=かつて

ナポレオンの乱にオランダ国の運命は断絶して、本国は申すに及ばずインド他方までことごとく取られてしまって、国旗を挙げる場所がなくなったところが、世界中纔か一箇所を遺した。

ソレは即ち日本長崎の出島である。出島は年来オランダ人の居留地で、欧州兵乱の影響も日本には及ばずして、出島の国旗は常に百尺竿頭に翻々してオランダ王国は嘗て滅亡したることなしと、今でもオランダ人が誇っている。

「福翁自伝 (岩波文庫)」

 

これは日本・オランダの交流の歴史でとても重要なことだから、在日オランダ大使館ホームページにも書いてある。
当時、長崎の出島にいたオランダ人の収入が途絶えてしまったため、食料や衣服などを日本人が好意で提供して、国家の名誉を守ることも認めた。

なによりもドゥーフは出島にオランダの旗を掲げ続けた。出島の三色旗はその頃、地球上ではためく唯一のオランダ国旗だった。

日蘭交流の歴史

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。