きょう3月31にちはエッフェル塔の落成記念日。
1884年にフランス革命( 1789年~1795年)の100周年を記念して、政府はパリ万国博覧会の開催を決定する。
そのモニュメントとしてフランス人技師エッフェルの、高さ300mのタワーを作ろうという案が採用されて建設が始まり、1889(明治22)年のこの日、パリのエッフェル塔が世界デビューした。
*現在のエッフェル塔は先端を合わせれば324m。
エッフェルの建設案は当時としては前代未聞のに空前絶後。
19世紀の半ばまで、世界で最も高い建物はフランスのストラスブール大聖堂で高さは142mだった。
その後、「世界一競争」がスタートしてドイツのケルン大聖堂(157m)、米国のワシントン記念塔(169m)が誕生して記録が塗り替えられていく。
そういう状況で一気に高さ300mなのだから、エッフェル塔が異次元の建造物だったことがわかる。
三角形を基本にして組んでいく「鉄骨トラス構造」によって、フランス人は奇跡を実現させた。
木造トラス構造を採用した構造物
こんなフランスの技術力や文明に明治の日本人は圧倒されまくり。
エッフェル塔ができる15年ほどまえ、岩倉使節団(1871年~1873年)のメンバーとして欧米を見て回った久米 邦武(くめ くにたけ)は『米欧回覧実記』で、フランス(仏朗西国)こそヨーロッパ大陸(欧羅巴州)の中心であり、文明国だと感嘆する。
「仏朗西国ハ、欧羅巴州ノ最モ開ケタル部分ニ於テ、中央ノ位置ヲシメ、百貨輻輳ノ都、文明渙発ノ枢ナリ」
日本でパリが「花の都」と呼ばれるのは明治時代のこんな印象からだろう。
岩倉使節団のすこしまえ、1867年にパリで開催される万国博覧会に参加するために、フランスを訪れた渋沢栄一も、パリでは驚きの連続で日本との圧倒的な文明の差に絶句する。
*渋沢栄一はいま放送中のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公
知人の尾高新五郎にあてた手紙に渋沢はこう書く。
文物の富、器械の精は、かねて聞き及んでいましたが、その実際を見て一段と驚きました。(中略)水や火を使う便利な仕掛にも驚きました。パリの地下はすべて水と火の道です。火はガスといって形なくして燃え、火炎が実に清明で、夜は満面を照らして昼間のようです。また水は全部噴水で、町のところどころから噴いています。その水をそそいで道路のホコリをしずめます。そして家は七、八階、大概石造で、座敷の壮麗なことは公侯のすまい以上です……
「 一九九〇年代の日本 (PHP文庫) 山本 七平」
ちなみに海外にいる間に江戸幕府が崩壊したから、渋沢栄一が戻ってきたとき日本は明治時代になっていた。
彼にはそんなリアル浦島太郎みたいな稀有な経験の持ち主。
こんなフランスをはじめとし、欧米各国の良いところを持ち帰った渋沢栄一は日本の発展に貢献して「日本資本主義の父」と呼ばれるようになる。
日本人の学習能力の高さは昔から異常。
「電信線には処女の生血が塗られている」とかいうワケノワカラン話を信じる人もいたけれど、1871(明治4)年には、日本初となる西洋式ガス灯が大阪で灯され、その後各地へ広がっていく。
「火炎が実に清明で、夜は満面を照らして昼間のようです」という状態が日本のあちこちでうまれたのだ。
当時のガス灯(1871年)
戦後も『欧米に追いつけ、追い越せ』で荒廃した日本を急速に復興させ、エッフェル塔を目標とするタワーの建設を開始する。
そして昭和33(1958)年、エッフェル塔を抜き世界最高となる東京タワーを完成させた。
明治と違って、令和の日本人がフランスで文明に圧倒されることはもうない。
数年前に浜松市に住んでいたフランス人が、「このまえ病院に行ったら、ロボット(ペッパー君?)が受付をしていてビックリした!」と言っていた。
1961年ごろの東京タワー
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