4月2日はデンマークの童話作家・アンデルセンの誕生日。
ということでこの日は「国際こどもの本の日」(International Children’s Book Day)になっている。
そういえば昨日、自民党の議員が菅首相に「こども庁」の創設を求めたというニュースを見たぞ。
日本の現状では、保育園や学童保育は厚生労働省、幼稚園や学校は文部科学省、子育て支援対策は内閣府といった感じに、子供に関する政策を扱うところがバラバラ。
だから「こども庁」をつくって、こうしたタテ割り行政の弊害をなくすらしい。
どうか新しい利権がうまれませんように。
さて、アンデルセン童話ではないけれど、日本でもとても有名な子ども向けの話にイソップ物語の「アリとキリギリス」がある。
日本人は海外から伝わったものを、自分たちの好みや価値観に応じて変えてしまうことがよくあって、例えば中国から伝わった西遊記の猪八戒をイノシシにした。(本家はブタ)
「アリとキリギリス」も同じく日本化されて、最後はヨーロッパのものとは大きく違っている。
日本版だとだいたいこんな話だ。
「一生懸命」をモットーとするアリさんはがんばって働いて、せっせと冬の食べ物を用意する。
一方、先のことは考えず、いま楽しければそれでいいという「刹那主義」のキリギリスさんは、楽器を演奏したり歌ったりして日々エンジョイしていた。
やがて冬がくると、アリさんの家にキリギリスさんがフラフラになってやってきた。
「食べ物がなくて、し、死にそうなんです」という話をきいたアリさんは同情して、「わかりました。では遠慮なく 食べてください」と食べ物をめぐんであげる。
するとキリギリスさんは涙を流してアリさんに感謝した。
めでたしめでたし。
でも、ヨーロッパのオリジナル・バージョンはこんなに甘くない。
食べ物をもらいにきたキリギリスに、「おまえはこの夏の間、一体何をしていたんだ?」とアリが詰問する。
「歌って楽器を演奏していました」という答えを聞いたアリは、「ハッ。夏に笛を吹いていたのなら、冬は踊ればいいじゃないか」と言って食べ物はあげなかった。
キリギリスを見殺しにするというバッドエンド。
この物語の改変には、日本人とヨーロッパ人の「平等感」の違いがよく表れている。
ヨーロッパではキリギリスを殺すことで「自助の努力」を強調するけど、日本では仏教精神の影響か、自助努力を大事にするものの、そのために命までは奪わない。
ヨーロッパ人の価値観に決定的な影響を与えたのはキリスト教だ。
その内容(聖書)をみるとけっこう残酷で、神によって人がバンバン死んでしまう。
神の教えを守らなかったソドムとゴモラの住民は神の怒りによって、わずかな例外をのぞいて皆殺しにされてしまう。
また、神から人間を殺害する権限を与えられた「ヨハネの黙示録の四騎士」は剣、飢饉、疫病、そして獣を使って人類を虐殺する。
日本の疫病神から欧米人、“ヨハネの黙示録の四騎士”を想像する
仏教にはこういう残酷な話は、ボクが知り限りではなく、むしろ困っている人のために自分を犠牲にすることを美徳と考える。
例えば海外から伝わった仏教説話で、日本では『今昔物語集』などに収録されているこんな有名なウサギの話がある。
あるとき山に入った老人が空腹や疲労で倒れてしまった。
それを見たサル・キツネ・ウサギは「よし、このおじいさんを助けよう!」と思い立ち、サルは木の実を集めてくる。
キツネは川から魚を捕ってきた。
でも、非力なウサギは何もできない。
それでウサギは自分を食べてもらおうと、たき火の中に飛び込んだ。
その老人の正体は帝釈天でウサギの自己犠牲に感動し、いつの時代の人もその尊く立派な精神を見られるように、ウサギを月へ昇らせた。
だからいまでも、月を見るとそこにはウサギがいる。
このウサギは前世のシャカだとか。
「もし帝釈天が本気になったら、ウサギさんは死ななくて済んだよね?」というツッコミはやむを得ないが、とにかく仏教ではこういう価値観や行動が高く評価されている。
その反動か知らんけど、最近では「自己責任」が支持される傾向が強いような。
もし老人が倒れたのが、ヨーロッパの森だったらどうなっていたか?
「おまえはこの山に登る前に、どんな準備をしていたんだ?」とサル・キツネ・ウサギから質問されて、返答によっては「ハッ。ならそのまま寝てろや」と捨てゼリフを残して、みんな森の奥へ行ってしまったかもしれない。
日本的な慈悲とヨーロッパ的な自助はこれぐらい違うのだ。
なんて言うと「では、日本は難民を何人受け入れたのですか?」というツッコミもあるので、今回の価値観の違いの話は参考ていどに思ってほしい。
ただ海外では、ヨーロッパのような考え方のほうが多いと思う。
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「歌って楽器を演奏していました」という答えを聞いたアリは、「ハッ。夏に笛を吹いていたのなら、冬は踊ればいいじゃないか」と言って食べ物はあげなかった。
キリギリスを見殺しにするというバッドエンド。
自分が子供の頃に読んだのもこれだったけど。蟻が恵んであげるという結末はみんな仲良くだのと幼稚園や小学校での運動会で一緒にゴールだの、学芸会で全員主役だのといった間違った考えが出だした頃からだと思う。
あと、キリギリスでなく蝉になっている国もあった筈。
向こうの知的、身体障害者の福祉施設を視察に行った人の話だと向こうでは何かにつけてキリスト教の教義に基づいてと言い方をして鬱陶しかったとの事。要は面倒を見てやっているという考え方。
最後に食べ物をあげるという改変は日本では400年以上前からあります。
> 「ハッ。夏に笛を吹いていたのなら、冬は踊ればいいじゃないか」と言って食べ物はあげなかった。
> キリギリスを見殺しにするというバッドエンド。
これは、バッドエンドの中でもマシな方で、もう一つのよりリアリティー溢れるバッドエンドがあります。それは、アリがキリギリスを食べてしまったというエンディング。
確かに残酷ではあるけれども、キリギリスとアリの自然界での生態をよく観察していれば、まるで「ファーブル昆虫記」のように正確な叙述ですよね。