きょうは仏教をはじめたシャカの誕生日で、日本では『花まつり』の日になっている。
そんなことを前回の記事で書いたわけだが、4月8日は『折り紙供養の日』でもある。
折り紙作家の河合豊彰さんの提唱でシャカの誕生を祝うこの日と、禅宗をはじめたダルマ(達磨)の命日である10月5日が『折り紙供養の日』となった。
花まつりなら日本各地のお寺でイベントが行われるけど、 折り紙供養の日には神社やお寺で特別な儀式や行事はないらしい。
日本人の信仰や宗教心について、よく外国人が不思議に思うことが「モノにも魂や神が宿る」という発想だ。
一神教のキリスト教で神はゴッド、イスラーム教ではアッラーだけで(ゴッドとアッラーは呼び方が違うだけでまったく同じ存在)、それ以外の何かに神性を感じて祈りをささげることは厳禁されている。
中世のヨーロッパならこれだけで、公開処刑の対象となってもおかしくない。
だから神道のように石や岩に神が宿っていると考えて、こんなふうに祀ることはない。
タイ人や韓国人の仏教徒に話をきいても、輪廻転生の考え方から、牛や豚などの生き物に魂が宿ることはあっても、紙やハサミといった物体にそれはないと言う。
人が死んだら動物に生まれ変わるという話は聞いたことがある。だから、ウナギを供養することなら理解も共感もできる。
*浜松では毎年、「うなぎ供養祭」が行われる。
それに対して輪廻転生と物はまったく関係がなくて、モノはモノでしかない。(人形は違うかもしれない)
だから知人のタイ人や韓国人に言わせると、メガネや針を供養するという日本人の発想はとても不思議。
でも、物には魂や神が宿っているという日本人の価値観や、物を大事にする文化は好きだと言う。
日本語の「かみ(神)」は世界的にみても独特な存在で、イギリスBBCは神道の「かみ」を英語で最も適切に訳すなら「スピリッツ」になるという。(The best English translation of kami is ‘spirits’)
具体的にはこんなこと。(2009-09-04)
In principle human beings, birds, animals, trees, plants, mountains, oceans – all may be kami. According to ancient usage, whatever seemed strikingly impressive, possessed the quality of excellence, or inspired a feeling of awe was called kami.
原則的に、人間、鳥、動物、木、植物、山、海、すべてがカミになる。
古い時代には、人間にとって印象的なものや優れた性質を持つもの、畏敬の念を抱かせるものなら何でも日本人は「カミ」と呼んだ。
これはまったく正しい説明で、神道の神はゴッドとかけ離れている。
でも、日本人は日用品にも「spirit」を感じると付け加えるとなおよろし。
タイやカンボジアなら木に精霊が宿るという発想はあるけれど、紙やメガネといった物でそんな話は聞いたことがない。
紙をはじめ使わなくなった物の魂(かみ)を丁寧に供養するのは、日本人の独特の信仰や宗教心に基づく世界的にもユニークな文化だ。
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