【日台友好】八田与一と明石元二郎の功績・台湾人の思い

 

台湾人と書いて「義理堅い」と読む。
欧米人や東南アジアの人たちと付き合ってきた経験、つまり有効範囲は「オレ」なんだが、台湾の人たちはむかし受けた”恩”を忘れないで行動でリターンする。

日本語学校に通っていた台湾人と知り合って、たまに彼に食事をごちそうしたり、観光地に連れて行ったことがある。
それから10年たったいまでも、彼は日本に来るとかかさずお土産を持ってきてくれて、このまえはこんなカラスミをもらった。

 

 

さて、5月8日は日本と台湾にとってとても大事な日だ。

「えっと、何の日?」という人は台湾メディア・中央通訊社の記事を見てみよう。(2021/05/08)

八田與一ゆかりの水利施設、着工から百年超 台湾で記念式典 蔡総統も参加

八田 與一(八田 与一:はった よいち、1886年 – 1942年)は日本統治時代の台湾で巨大ダムをつくった技術者。
干ばつや水害がよく起きる不毛の地だった台湾南部の嘉南平原に、八田がアジア最大級の烏山頭ダムを建設したことで事情は一変し、現在の嘉南平原は台湾有数の穀倉地帯となった。
八田をはじめ、多くの日本人と台湾人がタッグを組んで取り組んだ成果だ。

台湾の人たちは100年ほど前のこの”恩”をいまも忘れず、八田の命日の5月8日には毎年、追悼式を行っている。
2021年の記念式典には蔡英文総統と副総統、さらに首相(行政院長)という台湾のトップ3が参加し、蔡総統は「台湾と日本が共に協力し、八田技師に学び、100年後の子孫にも美しい環境を残すよう望む」と語った。

日本では安倍前首相が「真の友人だけがつくる深い交わりをこの先もずっと、世代を継いで大事にしていきましょう」と式典にメッセージを送る。

いま台湾は深刻な水不足におちいっているから、蔡総統は「このような時に八田技師の業績をしのぶことには格別の意義がある」とも言う。

これに日本のネットの声は?

・台湾も日本に色々な思い有るだろうけど、礼儀や建前を忘れないところはまともだわ
・李登輝は生前金沢も訪問してるもんな 義理深いところは日本人以上に日本人らしい
・映画「Kano」をみれば八田ダムの偉大さがわかるよ。
台湾が大人口を養えるようになったのも八田ダムと嘉南平原の大灌漑事業のおかげ。
・同じ事してもこの差
・八田與一さんて技術系以外ではマイナーな存在と思っていたけど
実プラでスレが立ったのが嬉しいなあ

八田についてくわしいことはこの記事を見てほしい。

「感謝しきれない!」日本人の八田与一が台湾で愛される理由

 

 

統治時代の台湾に巨大ダムをつくって、不毛地帯を穀倉地帯に変えた八田与一。
「ぜひあなたの像を作りたい!」と言う地元の人たちに、台湾人を見下ろすような立像はやめてほしいと八田が希望したことで、ダム作りで悩んでいる姿になった。

日本統治が終わって中国から蔣介石らがやって来て、日本時代の建築物や像などが破壊されると、「これだけは壊されてはいけない」と地元の人たちが八田の像を隠し、”反日”の嵐が吹きやむとまた像を設置した。

八田への感謝や愛情はいまも続いていることは、毎年5月8日になればわかる。
日本統治時代に築かれたさまざまな遺産の上にいまの日台友好があることは、日本人として知っておいたほうがいい。

 

5月8日の記念式典ではお供え物の山ができる(今年ではない)。

 

八田与一が特別注目されていて目立たないが、当時の台湾総督・明石 元二郎(あかし もとじろう)の功績も見逃せない。
巨大ダムを建設したいという八田に共感し、年間予算の3分の1以上という巨額の建設予算を認めたのは明石だ。
大きな事業を行うには熱意や善意のほかに、やっぱり金が必要になる。
明石元二郎の協力がなかったら現在のダムはあり得ず、日台関係もいまほど良好ではなかったかもしれない。カラスミをくれた台湾人は八田与一を「台湾の恩人」と呼んでいたから、少なくともそれはなくなる。
「台湾と日本が共に協力し、八田技師に学び、100年後の子孫にも美しい環境を残すよう望む」という蔡総統のことばも。

 

 

「余の死体はこのまま台湾に埋葬せよ。いまだ実行の方針を確立せずして、中途に斃れるは千載の恨事なり。余は死して護国の鬼となり、台民の鎮護たらざるべからず」という遺言によって、明石はいま台湾に眠っている。
写真は台北の林森公園にある碑石。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。