5月10日のきょうはリプトンの日。
日本はもちろん、世界的に有名な紅茶ブランド「リプトン」の創業者であるトーマス・リプトンが1848年のこの日に生まれた。そして1871年5月10日、リプトンが初めて食料品店を開いた日でもあるということで、この記念日ができたとか。
このイギリス人には商売の才があったらしい。
リプトンはパレードやポスターなど効果的な宣伝をおこなって人々の注目を集め、いくつもの食料品店を経営するようになる。
そんな彼に転機が訪れたのは1890年に行ったオーストラリア旅行で、セイロン(いまのスリランカ)に立ち寄ったとき。
そこで見て何かひらめくものがあったのだろう、リプトンはセイロンの広大な紅茶園を買い取り、茶樹の栽培から生産まで一貫しておこなうことで大成功を収めた。
そして「茶園から直接ティーポットへ」というスローガンが生まれる。
日本には日露戦争の勝利の翌年、1906年に初めて輸入された。
で、ここでのポイントはリプトンを「紅茶王」にした地、スリランカだ。
スリランカってこんな国
面積:6万5,610平方キロメートル(北海道の約0.8倍)
人口:約2,103万人(2016年)
首都:スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ
民族:シンハラ人(74.9%)、タミル人(15.3%)、スリランカ・ムーア人(9.3%)
言語:公用語(シンハラ語、タミル語)、連結語(英語)
宗教:仏教徒(70.1%)、ヒンドゥ教徒(12.6%)、イスラム教徒(9.7%)、キリスト教徒(7.6%)
以上の数字は外務省ホームページのスリランカ民主社会主義共和国(Democratic Socialist Republic of Sri Lanka)基礎データから。
スリランカは1802年にイギリスの植民地となって(完全な植民化は1815年にキャンディー王朝が滅亡してから)、1972年にスリランカ共和国として完全独立を果たす。
リプトンが訪れた植民地時代の地名は「セイロン」で、いまでもスリランカの紅茶はセイロンティーと呼ばれている。
スリランカの紅茶園
世界の紅茶生産国を見ると1位がインドで2位がスリランカ、そして3位はケニアという順になっている。
でも紅茶の輸出量では1位がスリランカ、2位ケニア、3位インドの順だ。
インドでは地産地消、国内で生産し国民が飲むことが多く、スリランカの紅茶は海外に運ばれたくさんの外国人に飲まれていることになる。
北海道より小さな国で世界2位の生産量ってのもすごい。
もともとスリランカで紅茶栽培はおこなわれてなく、コーヒーが盛んに作られていた。
でも、「さび病」という病気が流行ってコーヒーが枯れてしまい、大打撃をうけた農園主はそれに代わるものを探していたとき、インドの紅茶栽培に注目する。
その苗木をスリランカに運んで栽培を始めてみたところ、これがみごと大成功。
雨が多くて温暖なスリランカの気候は、紅茶栽培にちょうどよかったのだ。それだけでなく、イギリス人のジェームズ・テーラーの努力よるところも大きい。
彼は現地の人たちと一緒に道路や栽培に適した土壌、さらに製茶に必要な機械もつくった。
何もなかった状態から紅茶栽培に必要なものをつくり、スリランカでの大規模な紅茶園の開発に成功する。
それでスリランカの紅茶産業の基礎をつくったテーラーは「紅茶の父」と称されている。
リプトンの成功も間接的には彼のおかげだ。
イギリス人による植民地支配についてスリランカ人にきくと、「いまでも許せない!」と言った人は皆無。
それには紅茶栽培という素晴らしい遺産を残してくれたことが大きく、これを「奴隷労働」や「搾取」と非難するスリランカ人に会ったことがない。
植民地支配であってもそのすべてを闇とは考えず、良いところは良いと評価する態度はすごく公平だ。
おまけ
スリランカの観光地・ゾウの孤児院
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お茶の話を聞くといつも思うのですが、日本以外の国のお茶は紅茶にしてもウーロン茶など中国茶にしても、ほとんどが茶葉を発酵させたものです(発酵により甘い味が得られます)。しかるに日本では、グリーン・ティー、つまり発酵させない緑茶を飲むことが主流です。なぜでしょう?
あともう一つ、三国志の冒頭で、病気の母に茶(当時は薬とされていた)を飲ませるため、長江のほとりで1日中ぼうっと座って商船を待っている若き日の劉備玄徳です。もちろん、その他日本の豊臣秀吉、千利休、石田三成など、お茶にまつわるエピソードが伝えられる武将は多いです。でも、なぜか吉川英治(及び横山光輝)の三国志における冒頭のそのシーンがとても強くイメージに残っているのです。
現代の映画やTVドラマにも通用する、象徴的なシーンだと感じます。
はじめに日本に伝わったのは緑茶だからですかね?
くわしくは分かりませんが。