さて前回の続きですよ。
江戸時代、日本の歴史にその名を残す呉服屋が誕生した。
それが高校日本史でならう「越後屋」(えちごや)だ。
越後呉服屋
三井高利が1673年に江戸に開いた呉服店。「現金掛け値なし」と切売り商法で繁盛。両替商も兼業。幕府の御用(達)商人。明治期になって分立し、現在の三越百貨店につながる。
(日本史用語集 山川出版)
越後屋の三井高利(みついたかとし)は、それまでの日本にはなかったいろいろなサービスをうみ出した。
そのひとつには、「現金掛け値なし」という売り方がある。
三井高利はぼったくり商売ではなくて、定価制で商品を売ることにした。
こういうビジネスのやり方は、世界で初めてのこと。
さらに「お客様第一」の精神で、切売り販売もおこなっている。
これらのことは前回と前々回で書いたので、そちらを見てください。
越後屋(三越)、世界初となる定価制(現金掛け値なし)を始める
日本のサービスの歴史①越後屋(三井高利)が切売りを始めた男気
三井高利の発想力は、これだけではない。
彼はほかにも、新しいやり方を考案し実行している。
それが「チラシの配布」と「傘の貸し出し」というサービス。
江戸の店では、引札(チラシ)を市中に配布したり、店で注文に即応して羽織などを仕立てたり、にわか雨の時に傘を多数の顧客に貸すなどの新サービスを心掛けた。
三井のこうした発想の根本には、「お客様第一」、今でいう「カスタマーファースト」という考え方がある。
店中心の考え方から抜け出し、客の立場になって「客がどう感じるか?」「客は何がほしいか?」といったことをよく考えていたからこそ、こうした新しいビジネスの考えが生まれたのだと思う。
今の日本なら、「チラシの配布」や「傘の貸し出し」ということはあたり前のこと。
な~んにも驚くことではない。
三井高利の発想や売り方のすごいところは、それまでになかったやり方であることと、それが「ふつうの人でもできる」というところ。
一般の人にも応用が可能であったという点。
誰にでもできるものでなかったら、時代は変えられない。
三井高利が日本史に名を残したのは、そうした一般化できる新しいやり方をたくさんつくり出したことだろう。
たとえば伊能忠敬(いのうただたか)は、アメリカ人が驚くほど正確な日本地図をつくっている。
たけど、そのやり方は一般人向けではない。
寛政12年(1800年)から文化13年(1816年)まで、足かけ17年をかけて全国を測量し『大日本沿海輿地全図』を完成させ、日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした。
(ウィキペディア)
ふつうの日本人が伊能忠敬の測定のやり方を知ったとしても、だれもが伊能忠敬と同じレベルの正確な日本地図をつくることなんてできない。
これは伊能忠敬という超人的な人間だからできたことであって、一般の人にはとてもムリ。
伊能忠敬(ウィキペディア)
簡単な技術や方法であれば、世間にいるふつうの人たちでもそれをすることができる。
だれもができることだから、それは新しい常識や基準になるし時代や世の中を変えることもできる。
三井高利がおこなった「現金掛け値なし」「切売り」「チラシの配布」「傘の貸し出し」といったことは、だれでも同じことをすることができる。
それまでになかった新しいもので、ふつうの人でもすることできること。
三井高利が考案したことは、画期的だったというより革命的だったといっていいだろう。
だから今の日本で、日本史用語集にその名が記されるほどの人物になった。
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