前回、越後屋の三井高利(たかとし)が始めた革命的なビジネス方法について書いた。
越後呉服屋
三井高利が1673年に江戸に開いた呉服店。「現金掛け値なし」と切売り商法で繁盛。両替商も兼業。幕府の御用(達)商人。明治期になって分立し、現在の三越百貨店につながる。
(日本史用語集 山川出版)
日本の歴史にその名を残した三井の精神は、後の越後屋や今の三越百貨店にも生きているはず。
そしてそれは、三越百貨店を通じて日本中に広がっていると思う。
三越百貨店は、日本初の百貨店と言われる。
日本の多くの百貨店は、三越百貨店を手本にしていた。
顧客や取引先に三井・三越の連名で、三越呉服店が三井呉服店の営業をすべて引き継いだ案内と、今後の方針として「デパートメントストア宣言」を行い、日本初の百貨店となる。
(ウィキペディア)
三越百貨店が「デパートメントストア宣言」をしたのは1904、日露戦争が起きた年だ。
その後も日本の百貨店をリードしたのは、三越百貨店であったことは間違いない。
1914年(大正3年)になると三越呉服店でルネッサンス様式の新館が落成。鉄筋地上5階・地下1階建てで「スエズ運河以東最大の建築」と称され、建築史上に残る傑作といわれた。日本初のエスカレーターと、エレベーター、スプリンクラー、全館暖房などの最新設備が備えられた。
(ウィキペディア)
目には見えなくても、三井高利の「お客様第一」の考え方や理想は、日本の文化となって今の日本の社会にも生き続いているだろう。
日本人のおもてなしの原点といってもいいと思う。
日本の百貨店のサービスはお隣の韓国にも伝わって、事情通の黒田勝弘氏はこう書いている。
ロッテ百貨店は韓国の百貨店の歴史に革命的な変化をもたらした。ぼくは当時、そのことを「文化革命」と書いたことがあるが、韓国の百貨店で従業員がお客に笑顔を見せたり頭を下げるようになったのもロッテが最初だった。
また百貨店に食堂街やイベント会場を設けたのもロッテが初めてだ。ワゴンセールスなどもロッテが最初に始めた。とにかく百貨店に遊びの空間を初めて取り入れたのだ。そういえば韓国の百貨店で店内の照明が明るくなったのもロッテ以降である。ロッテは元は在日韓国人の資本である。
日本の百貨店をモデルにしたロッテ百貨店が、韓国の百貨店を楽しく明るいものに変えたという。
江戸時代に三井高利(たかとし)はぼったくり商法をやめて、世界で初めて「定価制」を導入した。
韓国では、まだこの定価制が社会の隅々にまで根づいていないため、日本に来る韓国人は日本の定価制を「日本を好きな5つの理由」の1番目にあげることがある。
2016年10月24日の韓国情報サイト(S・KOREA)のコラムにそのことが書いてある。
韓国のブロガーたちが口を揃えて言う「私が日本を好きな5つの理由」
まず1つ目は「どこに行っても定価制」。韓国では商品の価格表記がなく、わざわざ店主に値段を聞かなければならない場合もある。しかし、日本ではそんな手間は要らず、品質と値段のバランスも良いので、楽しい買い物ができるという。
2つ目は「細かな心遣い」。お店のショッピング袋に貼ってくれるセロテープに、剥がしやすいよう折り返しタブを作ってくれたり、雨の日は紙袋の上にさらにポリカバーを被せてくれたりする細やかな心遣いに感動を覚えたという人も多かった。
日本を好きな理由の2つ目の「細かな心遣い」というのは、三井高利(みついたかとし)が始めた「傘の貸し出しサービス」を思い出してしまう。
三井の「お客様第一」の精神は、きっと今も日本や韓国で引き継がれている。
最近、中国人の爆買いがなくなってしまって、日本の百貨店に元気がない。
閉店している百貨店も多く、日本全体で見れば衰退していることは間違いない。
でも、日本のおもてなしの文化に貢献してきた百貨店がなくなってしまうのは、あまりに寂しい。
ショッピングモールでの買い物もいいけど、誰かへのプレゼントや自分へのちょっとしたご褒美には、百貨店を使いましょう!
浜松で唯一の遠鉄百貨店がなくなりませんように。
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