新型コロナ対策の最終兵器、切り札となるのがワクチン接種。
それでいま全世界がワクチンをほしがってるし、日本でも希望者が殺到して予約さえむずかしい状態だ。
でも、宗教上の理由でワクチン接種を嫌がったり拒否する人もいる。
そんな記事を前回書きますた。
無宗教のボクからすると、「なんつー不合理な」と思ってしまうが、ムスリム(イスラム教徒)とは神に帰依した者、絶対的に服従した者という意味だから、これがこれ以上なく合理的で、現実的な考え方という人もいるんでしょ。
ワクチン接種を拒否するというのは、究極的には命よりも、神の教えを優先するということになりかねない。
日本人ならそんな選択をする人はいない。と思ったけど、30年ほどまえに、これと比べものにならないほど極端な出来事があったのを思い出した。
エホバ(ヤハウェ)とはキリスト教やイスラム教の聖書に出てくる神のことで、「エホバの証人」はそれを信じるキリスト教系の宗教。
彼らの聖典には、下のような「血を避けなさい」といった内容のことばが出てくることから、信者は輸血を拒否している。
「いかなる生き物の血も、決して食べてはならない。すべての生き物の命は、その血だからである。それを食べる者は断たれる。」
現在の「エホバの証人」の考え方は知らないし、個人によって考え方も違うだろうけど、以前こんなことがあった。
1992年に信者のAが病院でガンの診断を受けた。
手術では大量の血が流れて輸血が必要になることは常識だけど、宗教上の理由からAはそれを拒否。
あくまで輸血なしの手術を求めるAに対し、その病院の医者は「じゃあ無理です」とNOを言う。
「なら仕方ないですね。命を失うぐらいなら輸血を認めます」とAがこのとき言えば、”事件”にはならなかった。
輸血を拒否したら病院に拒否されたAを、エホバの証人は全力で支援する。
すると、輸血なしでも手術ができそうな病院が見つかり、Aはそこで手術を受けることとなる。
でもそのまえに医者から、ごく少量の血液を輸血するかもしれないと言われると、Aは「できません」と拒否。
「輸血しないで患者を死なせると、こちらは殺人罪になります」と言う医者に、「死んでも輸血をしてもらいたくない」と断固拒否。
最終的にはAから輸血の確認を得ないまま、そのへんはアイマイなまま手術がおこなわれた。
その最中に大量の血が出たため、このままでは患者が死ぬと考えた医者は、最後の選択肢として輸血をおこない手術は無事成功した。
でも、この終わりは始まりだった。
あとでこれを知ったAは激怒し、国(病院が国立だったから)と医者に対して1,200万円の損害賠償を求め提訴する。
1997年におこなわれた裁判では原告側の敗訴し、納得できない原告側は控訴する。
1998年におこなわれた控訴審ではAの主張が一部認められ、国と医者に55万円の支払いを命じる判決が下ると、納得できない医者らは上告する。
そして2000年に最高裁判所は上告を棄却。
つまりAのが感じた苦痛は合理的なものだったと認められ、医者は不法行為をおこなったと認定された。
医師は、患者が右手術を受けるか否かについて意思決定をする権利を奪われたことによって被った精神的苦痛を慰謝すべく不法行為に基づく損害賠償責任を負う。
最高裁の判断だから、これが日本のファイナルアンサー。
百歩ゆずって大人はそうでも、子どもの信者はどうなのか?
親が宗教的な信念から、子どもへの輸血を拒否する(=死ぬかも)ことも認められるのか?
この「輸血拒否事件」は全国の注目と関心を集めて、結果的に日本人の”宗教アレルギー”を増大させたように思う。
あくまで神の教えを守り通そうとしたAに共感する日本人は、いまでもほとんどいないだろう。
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> 最終的にはAから輸血の確認を得ないまま、そのへんはアイマイなまま手術がおこなわれた。
> (その手術は輸血により成功したが)あとでこれを知ったAは激怒し、国(病院が国立だったから)と医者に対して1,200万円の損害賠償を求め提訴する。
> 1998年におこなわれた控訴審ではAの主張が一部認められ、国と医者に55万円の支払いを命じる判決が下ると、
まあ、その医者は「患者の同意を得る」ことを軽視しすぎていたのだから、しょうがないですね。
本人の意志に逆らってまで、医者が患者の生死を決める権限なんてありませんよ。医者の思い上がりだ。
医者としての能力不足で判断を誤って患者を死なせてしまった場合と同様に、「(患者が拒否して)救えるはずが救えなかった」という良心の呵責に耐えること、(理由を知らない)世間からの非難に耐えることなんかも、職業としての医者の責務でしょう。
その程度のことも理解できないなら、医者にならなきゃいい。
一時期キリスト教徒と同じように戸別訪問していたっけな。
件の事件は北野たけしが父親役でドラマを流していた記憶がある。あの裁判以降、障害者施設で入所者が手術が必要となっても本人が嫌がっている(説明を理解できない)ので手術も入院もしませんという免罪符が出来上がった。
医者、先生、宗教者、弁護士、裁判官、高級官僚、昔はその職業に就いているというだけで世の人々から「特別に敬意を払われる」ような時代もあって、当然、一般人よりものごとに対して決定権が「優先される」ことがありましたけど。でも現代はそうじゃない。医者も色々で、尊敬に値する医者もいれば、単なる「儲け主義のヤブ医者」だっている。その点に気づくのは必ず世間一般の人々が先であり、当人たちは、自分のエリート意識ゆえにいつまでも昔の感覚のままでいる人が多いのです。
そんな誤解が、この種のトラブルが起きやすい原因にもなります。その種のトラブルを防ぐために「手術同意書」だの、なんだのかんだの、あれほど多数の契約書類に署名しなきゃならないのです。後々揉めないように。
ただし、その患者も、医者の職務であるとは言え命を救ってもらったのだから、もう少し医者側に譲歩してあげてもいいのでは? と思いますけどね。やはり宗教なんてものは百害あるけど一利もなしか。
全知全能の神がもしも本当に存在するなら、信者をいつまでも苦しめるのではなく、こんな問題はさっさと片付けてくれてもいいんじゃねーの? それとも、何かの「罰」を与えたつもりなのですか?