6月12日が「アンネの日記の日」という記念日だったんで、この前こんな記事を書いたわけですよ。
ユダヤ人にとってアンネ・フランクはホロコースト(大虐殺)の象徴で、絶対に忘れてはいけない少女なら、日本人にとってそんな人物はアンネと同じ時代を生きたこの少女だ。
1943年に広島市で産声を上げた女の子に、両親は元気に育つようにという願いをこめて禎子(さだこ)と名づけた。
その2年後の1945年8月6日、米軍が原子爆弾を投下し、佐々木禎子はそれで被ばくする。
それでも親の願いどおり健やかに育った禎子は、小学6年生のころには50mを7.5秒で走る健脚ぶりを見せてリレーの選手にも選ばれた。
中学校の体育教師を夢見ていた少女はその年の11月ごろ、異変(首のしこり)を感じて、そこから運命は一気に暗転。
翌年の2月18日に父親は医師から、貞子は白血病にかかっていてあと3ヶ月、長くて1年の命と告げられる。
「はれを治すために、少しの間入院しなければならない」とお父さんから聞いた禎子は、それを信じて闘病生活に入る。
千羽鶴を折ればきっと元気になると思い、病室で1000羽以上の折り鶴を作ったものの、10月25日に危篤状態となる。
「お茶漬けを食べたい」と貞子が言うのを聞いた家族は急いで用意して、そのお茶漬けを少し口にした貞子は 「お父ちゃん、お母ちゃん、みんなありがとう。」と言い残して息を引き取った。
12歳というのは家族に「ありがとう」と言っていい年齢ではない。
くわしいことは広島市のHP「禎さんが生きた4675日」をどうぞ。
彼女の死後、広島への原爆投下を承認した米大統領トルーマンの親族と禎子の親族との間で交流がうまれ、2015年には、トルーマン元大統領の大統領図書館に貞子が病室で折った鶴が贈られた。
憎いのは核兵器で、いまの日本にとってアメリカは大事な同盟国であり頼りになる友人だ。
2016年には、オバマ大統領が現職の大統領として初めて広島の平和記念公園を訪問し、被爆者と抱き合ったのは記憶に新しい。
前回、人工衛星の愛称について記事を書いていたときに、はじめは鉄腕アトムにちなんで「ATOM(アトム)」にきまりそうになったけれど、それでは原子爆弾を連想させるということでボツになり、「はやぶさ」になったということを知った。
日本人が核兵器に激しい抵抗感を感じるのは、貞子のような思いを受け継いでいるからだ。
貞子をモデルにしてつくられた原爆の子の像(広島平和記念公園)
ユダヤ人にとってはナチス=ドイツによるホロコーストが歴史上、最悪の悲劇で、日本人にとってそれは広島・長崎への原爆投下にあたる。
ともに第二次世界大戦中に起きた世界史に残る惨事で、アンネも貞子も人類が忘れてはいけない少女のはず。
でも日本では毎日いろんな記念日があるのに、調べてみても貞子を記念するような日は見つからない。(あったらご一報を)
毎年10月25日には、原爆に体育教師という夢を奪われて、「お父ちゃん、お母ちゃん、みんなありがとう。」と言ってこの世を去った少女のことを思い出してもいい。
こちらの記事もどうですか?
> ユダヤ人にとってはナチス=ドイツによるホロコーストが歴史上、最悪の悲劇で、日本人にとってそれは広島・長崎への原爆投下にあたる。
> ともに第二次世界大戦中に起きた世界史に残る惨事で、・・・
広島・長崎への原爆投下については、その表現で大半の日本人の考え・感情に合致していると思いますが。
ユダヤ人のホロコーストについてはどうですかね? その日本語文章を彼らに理解できるような言語で、正確に翻訳したのならば、おそらく彼らは不満を感じるだろうと思いますよ。
彼らにとっては単なる「悲劇」「惨事」ではないでしょうね。他の民族が、自民族に対して「国家レベルで意図的になされた暴力的犯罪行為」であると、考えているはずです。その被害者に対して「悲劇」「惨事」という表現で済ませるのは、あまりに何と言うか、まるで人間の意志が介在していない自然災害に対する評価のように聞こえてしまう。まあ、日本人だったら普通は誰しもそのような考え方をするのでしょうけど。
しょせん、日本人の心持ちとユダヤ人とでは、世の出来事に対する認識のありようが違うからとも言えます。
それと、隣国の人々が感じている「怒り」は、そのような「暴力的犯罪行為があった」という宣伝・教育が原因であるから、そのことは余計に許しがたいですね。
これまでこの話を何人かのユダヤ人に話してきましたが、特に異を唱える人はいませんでしたね。
うーん、何と言えばいいのか。例えば日本人でも、広島・長崎への原爆投下に対して「あれは単なる悲劇じゃない、米国による大量虐殺だ!」と怒る人がいますよね(少数ですが)。それと同じように「他国の能動的行動により被害を被ったのだ、それを単なる『悲劇』では表現が軽すぎる」と主張するイスラエル人に、会ったことがあるものですから。若い頃、ヨーロッパで開催された技術分野の国際会議に出席した時のことでした。
もしかすると、私の英語での説明能力が不十分だったのかもしれません。
まーしかし、イスラエルの人は皆さん英語がきわめて上手です。母国語が英語でないのに、あれだけ英語の読み書き・会話に長けているのは、おそらくイスラエル人だけじゃないですかね。ヨーロッパだったらドイツ人かオランダ人、あるいは北欧かな? と思うのですが、国際的イスラエル人は平均レベルでそれを凌ぐと思う。
ただそれも、「かつては放浪の民、現代は周囲全部が敵の中で、何とかして生き延びるため」という悲しい理由なのでしょうけど。
自分は日本人に生まれてホントに良かった。