日本語にある「鬼門(きもん)」。
それは現代では、こんな風にニュースの見出しでよく使われる。
鬼門のウェンブレイ:ドイツ代表、現地での最終調整実施も不可能に
「ウェンブレイ」はイギリスのサッカースタジアムのことで、ドイツはここでは負けが多いらしい。
また、バイクの教習生がよく失敗するところを「鬼門」と表現するメディアもある。
教習生の鬼門!一本橋とスラロームのコツとは
鬼門とは丑と寅の間の方角、いまでいう北東のことだ。
陰陽道が盛んだった平安時代、人々は病気や地震、火災など様々な厄災を「鬼が引き起こす」と信じていて、鬼が入ってくる方角(北東)を「鬼門」と恐れていた。
このことから、なぜかそこだと失敗する、不思議とうまくいかないような場所を鬼門と表現するようになる。
死をもたらすこともある「鬼」を、昔の日本人が恐れたのは当たり前。
鎌倉時代にできた「陰陽道旧記抄」には竈(かまど)や門、厠(トイレ)などには神を”配置”し、鬼門には恐怖したという記述がある。
竈、門、井戸、厠など、病気に直結する場所を神格化させ、諸々の宅神から祟りをうけぬよう祭祀を行っていた歴史があり、鬼の門と名の付く北東方位を他の方位方角より恐れる方位になった。
桓武天皇が奈良から平安京(京都)へ遷都するときも鬼門が気になり、そこに位置する比叡山には延暦寺を置いた。
以後、延暦寺は平安京の「鬼門封じの寺」として、朝廷が保護するようになる。
比叡山延暦寺のホームページによると、「延暦」は朝廷(天皇)からいただいた名前だ。
最澄が開創した比叡山は、日本の国を鎮め護る寺として朝廷から大きな期待をされ、桓武天皇時代の年号「延暦」を寺号に賜りました。
くわしいことはこの記事を。
「鬼をもって鬼を制す」という考え方から、お寺には邪鬼の侵入を防ぐ鬼瓦がよくある。
その京都で最近、平安時代の貴族・藤原実頼(さねより:900~970年)の邸宅跡から、鬼門封じのためとみられる、ユーモラスな見た目の人物が墨で書かれた土師器(はじき)のお皿が見つかった。
産経新聞の記事(2021/6/24)
皿は鬼が出入りする方角とされる「鬼門」に位置する場所から出土、災いを払う目的で埋められた可能性があり
〈独自〉平安人の鬼門封じ? 藤原実頼邸跡から最古級の人面墨書土器
これは直径約16センチ、高さ約2センチのお皿で、太い眉毛とあごヒゲがあり、さらに口を開けた人の顔が裏面に大きく描かれている。
鬼門の災いよけの実例としては、日本最古の可能性があるという。
病気やケガなどの厄災を運ぶ鬼を恐れる信仰は、平安時代やそれ以降の日本人に共通している。
京都という都市ならそれが入ってくる鬼門に寺、個人宅なら皿などのアイテムで防御していた。
それでも家に鬼が侵入しているかもしれない。
そんな鬼を追い払う節分の「豆まき」は、鬼を疫病神とみた昔の日本人の恐怖の表れでもある。
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