インドネシアのイスラム教徒が、日本女性に衝撃を受けたワケ

 

7月7日は言わずとしれた七夕。
同時にこの日は「ポニーテールの日」でもある。

七夕のときにはむかし、女性が手芸の上達を願って祭りを行っていたから、まずこの日が「浴衣の日」となった。
それで浴衣にはポニーテールがよく似合うというわけで、日本ポニーテール協会(活動はなに?)が7月7日がポニテの日に制定。
7・7にも七夕にも関係ないけど浴衣の日に強引にくっつけたという、強力接着剤のような記念日だ。
もしくはコバンザメ的な。

 

画像はClément Bucco-Lechat

 

馬(ポニー)のしっぽをイメージさせるこの髪型は、歴史的には古代エジプトやローマの絵画にも見られるという。
日本の大学に通うインドネシア人のイスラム教徒(♂)に、日本での生活で驚いたことを聞いたら「ポニーテール」をあげた。
ではここでクエスチョン。
このイスラム教徒の男性がポニテに驚いた理由は一体なにか?

 

正確に言うとポニーテールというよりは、そこからのぞく女性のうなじだ。
ボクが上の質問をしたちょっとまえ、彼は大学の階段で前を歩く女子大学生のうなじを見て、心臓直撃のドキドキ感を感じたという。
というのはイスラム教には、

「成人に達した女性は、ここを除きどの部分も見られてはならない、と言って預言者は顔と手を示された」

といった服装規定があって、女性は基本的に、外で自分の髪を見せてはいけないことになっているから。

国民の約9割がイスラム教徒というインドネシアでは、女性はヒジャブという布で髪を覆っているのが一般的だ。

 

画像はHamed Saber

ヒジャブとはアラビア語で「覆うもの」の意

 

ヒジャブ姿が当たり前だったから、彼がインドネシアにいたときには、女性のうなじを見ることはなかったと言う。
だから自分の目の前、わずか数十センチのところで、白い女性のうなじを見たときには思わず心臓が高鳴った。
まぁそれはやむを得ない。
日本の高校生や大学生でも、そんなふいに一撃をくらう男は後を絶たないのだから。

ポニーテールだけじゃなくて、日本の女性はミニスカートやホットパンツとか衝撃的な恰好をしているから、慣れるまで時間がかかったらしい。
インドネシア人イスラム教徒の彼にとって、母国と日本の大きな違いは女性の肌の露出っぷりだ。
こういう人が日本の夏祭りに行って、浴衣とポニテの洪水を見たら大興奮するのだろうか。してもいいけど、写真を撮ると捕まるかも。

 

これは女性のイスラム教徒向けに作られた水着のブルキニ

 

イスラム教の教えにそって手足の先と顔しか露出していない。
こういう姿が常識的な国から日本へ来たら、そりゃビビるわ。

 

彼のような話を聞くと、この手のニュースの背景が見えてくる。

AFPの記事(2021年04月09日)

レイプ増加は女性の服装のせい? パキスタン首相の発言に非難殺到

このところパキスタンではレイプ事件が増加傾向にある。
イギリスの名門オックスフォード大学で学んで、西洋的な価値観や考え方をよく理解しているはずのカーン首相が、その原因について女性の服装に問題があると発言して人権団体などから猛非難を浴びた。

日本で自民党議員がこんなことを言ったら、どんなカオスが展開されるか。

女性につつしみ深い服装を求める「パルダ」という社会規範に触れて、カーン首相はこう話す。

「パルダの狙いは誘惑を防ぐことだ。誰もが誘惑を退ける意志の強さを持っているわけではない」と述べ、女性に体を覆って誘惑を避けるよう助言した。

 

イスラム教の影響の強いパキスタンは恐ろしく保守的な国で、男女平等度ランキングは世界最低レベルにある。
そんな「男尊女卑」の価値観を反映した首相の言葉には、

「事実に反しており無神経で危険だ」
「責任はもっぱらレイプ犯と、レイプ犯を容認する制度にある」
「被害者に責任を負わせる発言だ」

といった非難が相次いだ。

21世紀のいまは、国境を越えて多くの人が行きかう国際化の時代だ。
異なる価値観や文化に触れるのはもはや当たり前なのだから、日常的に女性のうなじぐらいは見ておいて、露出や誘惑への「耐性」をつけておいたほうがいい。
という理屈が通用しないのがイスラム世界。

 

 

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1 個のコメント

  • 源流を同じくする世界の3大一神教、つまりユダヤ教、キリスト教、イスラム教のことですが、その目標の一つに「性衝動の抑圧」という点があると思います。まーホントに呆れるくらい、「隣家の妻を淫らな目で見るな、あれは他人のものだ」という記述が彼らの聖典には多数出てくるのですよ。おそらく、他の哺乳類のようにメスを奪い合う血みどろの戦いを繰り広げるのを抑えて、社会秩序と協力関係をもたらそうとする、知恵の一つだったのでしょうね。
    ギリシャ・ローマ神話も、インド神話も、日本神話も、それほどセックスにはこだわりがありません。むしろ、「豊穣の神の恵みに喜びを感じて自由気ままに振る舞え」とばかりに、けしかける(?)ような記述も多い。このブログ記事でも時々書いてあることですが、女性の権利に関しては、欧米キリスト教なんかより日本の伝統文化の方がよほど進んでいました。
    その形勢が現代では逆転しているかのように見えるのは、キリスト教も、女性の人権が大事であることにようやく気づいたからです。でも、ローマ・カソリックなんか未だに女性の教皇・枢機卿を認めようとはしません。男だろうが女だろうが、人間の一人であることには変わりないことは明らか。男女の扱いの区別は、最低限度の「やむを得ない場合」に限定されて然るべきです。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。