「なあ、日本と韓国の違いって何があるんだ?」
そんな質問をしてきたフランス人に小一時間ほど説明してから、今度は彼に、フランスとアメリカの違いを聞いてみた。
するとこんなことを言う。
「宗教だね。フランスは宗教と政治が厳しく分かれているから、社会への宗教の影響力は小さい。でもアメリカは違う。熱心なキリスト教の信者が多いし、社会における宗教の重要性がすごく高い」
たとえばフランスでは、生徒が十字架の飾りをバッグに付けて学校に登校する場合、校内に入ったらそれはバッグの中に入れないといけない。で学校が終わって校門を出たら、十字架を周りに見せてもいいという。
これはフランス全土のことなのか、彼が住んでいた地域だけの話か分からないけど、5年ほど前にそんな話を聞いた。
フランス社会には政治と宗教との間に明確な一線を引く、「ライシテ」という政教分離の原則がある。
1905年に教会と国家の分離の原則を規定した法律(ライシテ法)が公布されたことで、フランスの反カトリック主義が完成し、国家の無宗教性は決定的となった。
かといって、もちろん反宗教ではない。
フランスは中立的な立場から他人の迷惑にならない範囲内で、個人の信仰や思想の自由を保障している。
ライシテは政治と宗教を対立させるものではなく、政治・行政から宗教の影響を排除することが目的である。したがって、宗教は信教の自由、思想・良心の自由という個人の自由の領域を超えることはない。
さっきのフランス人はアメリカとの大きな違いとして1ドル札を例に挙げる。
ここにでっかく印刷されている「In God We Trust」の文字は、フランスの価値観とはかけ離れているという。
「我々は神を信じる」というこの言葉はアメリカの国家としてのモットー(標語)で、こんなに身近に神を感じなら生活するのはフランス的ではないらしい。
といってもアメリカ人にとってはこれは文化で、ドル札を使うたびにイチイチ神を意識することはないだろう。
このとき彼は指摘していなかったけど、ピラミッドの上にあるプロビデンスの目もフランスの政教分離の原則に反するのでは?
この目は「神の全能の目(all-seeing eye of God)」という意味で、キリスト教を象徴するデザインだ。
日本人が見ても1ドル紙幣のデザインだけで、アメリカ社会における伝統と宗教(キリスト教)の結びつきの深さを感じられるはず。
アメリカ合衆国の国章の裏面
画像はIpankonin
そんな宗教を重んじる、とてもアメリカらしいニュースがある。
アメリカでは運転免許証の顔写真で帽子などのかぶり物はNG。
でも女性のイスラム教徒が髪を隠すヒジャブや、インドのシク教徒がターバンをつけることは認められている。
*ターバンはしらんが、日本でもヒジャブ着用の免許写真はOK。
これと同じ宗教上の理由を挙げて、アリゾナ州の男性が顔写真に「パスタの水切り用容器」をかぶった姿を認めるよう当局に訴えたら、なんとそれが認められた。
ただその決定に納得いかない人は多いらしい。
米CNNが「Odd News」(奇妙なニュース)としてこう伝えた。(2017.06.03)
コーベットさんは、団体「空飛ぶスパゲティモンスター教会」の信者と主張。この団体は、世界は5000年前、空飛ぶスパゲティモンスターによって創世されたもので、宗教的なかぶり物としてパスタの水切り用容器を身に付けるのが信者「パスタファリアン」の務めなどと説明している。
「パスタの水切り器」かぶった写真、運転免許証用に承認 米
これはネタではなくて、マジのガチ。
「宇宙は空飛ぶスパゲッティ・モンスターによって創造された。これは空飛ぶスパゲッティ・モンスターが大酒を飲んだ後の事であった」
そんな教義を持つ「空飛ぶスパゲティモンスター教会」はキリスト教系の宗教団体で、日本にも支部かコミュニティがあるらしい。
この信者は水切り用容器を頭にかぶる決まりがあって、その宗教的理由を否定できず、アリゾナ州の交通行政当局が上のアホみたいな写真を認めた。
でもそのあと、「やっぱりあれはおかしい」となって免許証を無効にする準備が進められた。
するとこれに猛反発したコーベットさんが、そんなことをしたら裁判に訴えると激怒したという。
宗教と訴訟というアメリカ社会の特徴がよく表れた出来事だ。
「ライシテ」を社会の基本原則とするフランスや、伝統的に宗教と政治が分離していた日本からしたら、アニメの世界の出来事だろう。
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> でもアメリカは違う。熱心なキリスト教の信者が多いし、社会における宗教の重要性がすごく高い
その通りです。ただし、日本やフランスなどと違う点は、ただ単に「社会におけるキリスト教の重要性がすごく高い」というだけでなく、それを非常に重視する人々もいれば、日本人やフランス人よりも無宗教に近い人まで、すごく多様性があることです。
確かに、アメリカ人の「中心」とされる主流派は、よく言われるところのWASP(白人、アングロサクソン民族、プロテスタント信者)なのでしょう。ですがそれだけじゃない。中心はそうであるかもしれないが、その分類に当てはまらない国民・住民も無数にいて、そういう「非主流派」の人々にも頑張り次第で成功のチャンスがある、あるべきだとされている。
とても多様性に富んだ人々が、基本的には互いに競争しながら、時には「宗教」のような枠組みの中で助け合いながら、全員が最低限度の合意契約としての合衆国憲法の元に同居している、そんな国であると感じます。