2021年の芥川賞は台湾人の作家・李琴峰(りことみ)さんの「彼岸花が咲く島」にきまった。
日本語に恋をしたという李さんは15歳から日本語を学びはじめて、31歳で日本最高の文学賞を手に入れた。
なんだ、ただの秀才か。
ではなくて、「血を吐く思い」で日本語を身につけたというから、とんでもない努力家だ。
もはやネイティブレベル(きっとそれ以上)の日本語と、台湾人ならではの視点で日本人に新しい世界を見せてほしいデス。
さてそんな李さんの活躍を知って、頭に浮かんだのがこの人物だ。
この人は阿倍 仲麻呂(あべ の なかまろ)という。
「なんか中国人っぽい恰好をしてる」と思った人はするどい。
698年に奈良で生まれた仲麻呂は幼いときから一般人とは別のステージにいて、学問の才能を高く評価された彼は717年に遣唐使に同行して長安に留学する。
日本人留学生となった仲麻呂は唐の都でも無双。
その天才的な頭脳で、受験生を精神障害や過労死に追い込んだという地獄の国家公務員試験「科挙(かきょ)」に合格した。
これは高校世界史でならうことだから、おぼえておこう。
科挙《唐》
科目試験による官僚登用制度。隋の制度を継承したうえ、唐は科目として進士のほか秀才・明経などの諸科を設けた。
「世界史用語集 (山川出版)」
「おまえ、超頭いいじゃん!」の意味で使う「秀才」はこの科挙が由来になっている。
これは試験科目のひとつで、さらにこれに合格した人は「秀才」と呼ばれた。
阿倍仲麻呂も文字どおり、「秀才」だったのだ。
と言いたいところなんだが、唐の時代には秀才、進士、明法などの科目のなかで、秀才科が最も重要視されていたけど後に廃止されたから、阿部が秀才を受けたかどうかは知らない。
1904年まで続いた科挙の歴史のなかで、日本人の合格者といわれる人物は阿倍仲麻呂だけ。
中国の超難関試験をクリアし、皇帝にも才能が認められた阿部はトントン拍子に出世していく。でも皇帝に愛され過ぎたせいか、日本への帰国を申し出ても許可されなかった。
そんな阿部は、李白や王維といった中国を代表する文化人とも交流があったという。
10代で日本を出てから、二度と母国の地を踏むことができなかった彼はこんな歌をよんでいる。
「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」
空を見ると美しい月が出ている。故郷(奈良)の春日にある三笠山の出る月と同じだなあ、といった意味。
百人一首にも選ばれたこの有名な歌は、実は阿倍仲麻呂のものではないという説もある。
でも、科挙を突破して地位と名誉を手にしても、遠く離れた日本を思うと心に痛みを感じたことは想像できる。
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