【日本人の言語感覚】江戸・昭和・令和の“不吉な言葉”と拒否感

 

何とか無事に終わったきのうの東京五輪の開会式。
豪華な花火のほか、「CGかっ」というようなドローンによる地球儀は圧巻だった。

 

 

でも今回の話は五輪ではなくて、江戸・昭和・令和の日本人の言語感覚について。

開会式の直前には音楽担当のミュージシャンが、過去に行った「障害者いじめ」の責任をとって辞任する騒ぎがあった。
その問題を扱ったテレビ番組で、出演者が「抹殺(まっさつ)」という言葉を何度も使って視聴者からは困惑の声が続出したという。
いじめ発覚で五輪組織委員会は、そのミュージシャンが作った楽曲を開会式では一切使用しないことをきめた。
この対応をやりすぎと考える番組MCが「映画に罪はないんじゃないの?」、「それこそこのタイミングで曲変えるって、どうするんだろう?」と不満を言う。
それに対して出演者が「イジメって最悪やと思うんですよ」、「学生が喧嘩した、暴走行為したとかと全然次元が違う」と話してからのやり取りがこれ。

MC:「ってことは抹殺!?」
出演者:「抹殺ですね」「もう抹殺」

かなり省略した部分もあるけど、とにかく「抹殺」が三連発で出てきたことから、多くの視聴者が不安や不快感をおぼえ、「抹殺はやばくない?」「怖すぎる」とネットに疑問の声が上がった。
昼間のワイドナショーで、「抹殺」という言葉のチョイスとその連呼はどうなのか?

ネット掲示板では誰もあまり気にしてない。

・まぁそう言う意見もあっていいんじゃね
・楽曲を抹殺するってことやろ
なにが不快なんだ?
・理屈抜きの「悪・即・斬」
・言葉だけ綺麗に言いつくろったってしょうがないだろ
・必殺は何故か許容範囲
・抹殺、消去、粛清、削除
なんでもいいよw

「いじめをした奴なんて〇処分でいいよ」なんて表現が平気であるネットの匿名空間なら、「抹殺」ぐらいはまったく問題ないらしい。
*「〇」の部分を漢字で書くと、グーグルからペナルティーをくらうかもしれないから想像してくれ。

辞書(デジタル大辞泉)を見ると、「抹殺」には命を奪うという激しい意味はない。

1 事実・存在などを認めず、無視すること。消し去ること。葬り去ること。
2 こすって消してしまうこと。

でもやっぱり、「殺」の文字が見る人・聞く人に与えるインパクトは大きい。
台湾ではパイナップルを切ることを「自殺」・「他殺」と表現することもあると知ると、日本人はまず間違いなくおどろく。

【漢字の世界】日本語にはない、中国・台湾語での“殺”の意味

 

どこの社会、いつの時代でも、場に応じた言葉づかいが求められるのは当たり前。
ただ日本では言葉には霊力が宿っていて、良い言葉を言うと良いことが起こり、不吉な言葉を言うと不幸なことが起こるという言霊思想が昔からあるから、「終わる」を「お開きにする」と言い換えるなど独特の言語文化がうまれた。
「抹殺」と聞いてイヤ~な気持ちになることには、この信仰の影響もあるはず。

1963(昭和38)年に、『世界の中心で、愛をさけぶ』や『いま、会いにゆきます』の原点とも言える純愛小説『愛と死をみつめて』が大ヒットして、そのタイトルで曲が作られた。
このとき業界では、「『死』なんて不吉な言葉のある歌が売れるわけがない」という否定的な見方がほとんどだったけど、その予想をくつがえしレコードはミリオンセラーとなり、その年のレコード大賞にも輝く。
ちなみにこのカヴァーをドリームズ・カム・トゥルーが歌っている。
(愛と死をみつめて〜DREAMS COME TRUE VERSION〜)

結果的にはヒットしたとはいえ、当時の日本人の感覚では公の場で「死」という言葉を使うのはよくない、避けるべきというものがあった。
「やばくない?」「怖すぎる」と同じだろう。
現代の日本人の常識ならこれぐらいは問題ないから、中島美嘉さんの『僕が死のうと思ったのは』やあいみょんの『どうせ死ぬなら』といった曲が何の抵抗もなく受け入れられている。

 

ではさらに時代をさかのぼって、江戸時代の日本人さんの言語感覚を見てみよう。
幕末の武士はかなりのビビりだったらしい。

福沢諭吉が幕府の要人から頼まれて、英語の文章を日本語に訳してそれを見せたところ、その要人は「競争」という言葉を見て表情をくもらせる。
「competition」という英語を見た福沢はいろいろ考えた末、「競争」という言葉をつくり出してこれを訳語にした。
この言葉を見たときの要人の反応を、福沢が『福翁自伝』にこう書いている。

何分ドウも争と云う文字が穏かならぬ。是れではドウモ御老中方へ御覧に入れることが出来ないと、妙な事を云うその様子を見るに、経済書中に人間互に相譲るとか云うような文字が見たいのであろう。

 

「争う」という言葉は意味が強すぎる、過激だから、幕府のトップの人たちには見せられないと要人は言う。

そこで福沢は「競争」という言葉は新しいけれど、その現象なら、すでに日本にあるとこんな説明をする。
例えばある店が商品の値段を安くすると、その隣り近所の店も商品を安くするようになる。
また商人が良い品物をそろえると、別の商人はもっと良い品物を集めようとする。
江戸時代の日本で当たり前のようにあったこの経済原理を、福沢は「競争(competition)」と表現した。

でも要人は「争」の字が穏かではないと渋る。
人が互いに譲り合うといったやさしい言葉がいいのだろうけど、それでは「competition」ではなくなるから、福沢は「それはできない」と拒否。
それでも要人が、この文字は老中たちにはどうしても見せられないと言うので、結局「競争」は黒く塗りつぶされた。
この一件に福沢諭吉は「この一事でも幕府全体の気風は推察が出来ましょう」とあきれる。

江戸時代こそ「悪・即・斬」の世の中だ。
重罪人は首をはねられて台の上にその頭部が置かれ、3日間ほど見せしめとして晒(さら)されたし(獄門)、幕末には武士が外国人を斬り殺す事件が何度も起きた。
この要人や幕府の老中も、首のない死体を見てもそれほど動じないだろうけど、「争」の文字は「穏かならぬ」と目にしたくほど嫌った。
「やばくない?」「怖すぎる」といった状態だろう。

当時と比べると、日本人の言葉の感覚はかなり変わった。
いまの日本でも文書の黒塗りはよくあるけど、さすがに「競争」は問題ない。むしろ、なんで武士がそこまで極端に嫌うのか、怖がるのかがよくわからない。
そんな“ビビり”が、「ってことは抹殺!?」「抹殺ですね」「もう抹殺」と聞いたら震え上がるかも。将軍や老中のまえでそんなことを言ったら、打ち首・獄門されるかも。
まあそれはないとしても、これは結局、言霊信仰にどのぐらい縛られているか、解放されたかの違いだ。
ドローンで地球儀をつくり出せるいまの日本人なら、「競争」を見ても何の不安も感じない。でもさらし首を見たら、震え上がるとかのレベルじゃない。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。