仏教とキリスト教の違い:アメリカ人が地蔵の話に怒ったワケ

 

ほんじつ7月24日には地蔵盆の日。

この「地蔵デー」には日ごろの感謝の気持ちを込めて、お地蔵さまの像を洗い清めたり新しい前垂れを付けたりする。
地蔵(菩薩)は子どもの守り神でもある。
日本の仏教では、親より先に死んだ子どもは善行を積むことができなかったり、親を悲しませたといった理由で地獄の賽(さい)の河原へおくられ、そこでひたすら石を積むという苦しみを味わうことになっている。
石の塔が完成すればその地獄から抜け出せるけど、その直前になると鬼が現れてその塔をぶち壊しやがる。
だから、子どもはまたゼロから石を積まないといけない。
そして塔が完成すると思ったら鬼が現れて…のエンドレス。
そんな永遠の苦しみから救ってくれる、ありがたく尊い存在がお地蔵さん。

こんな仏教の話から地蔵と子どもは深く結びついていて、地蔵盆のときには、子どもが地蔵に手を合わせてその加護を祈る風習があった。(いまもあると思う)
現代の地蔵盆では子どもが主役になっていることも多く、お地蔵さんに供えたお菓子や料理を子どもが食べたり、子供用のお楽しみイベントが行われたりするらしい。

 

地獄の賽の河原にいる子どもを救う地蔵

 

地蔵盆
画像は関西画像創庫 

 

というように、親より先に亡くなった子どもは地獄におちるという話をアメリカ人女性(ほぼ無宗教)にしたところ、「ひどい!それはひどすぎる!」と怒気を込めて言って涙まで浮かべる。
予想外の反応にこっちはかなりビックリ。

怒りのワケを聞くと彼女が信仰していたキリスト教(プロテスタント)の考え方では、人の死は神がきめたことだから、身内や知人がそうなったら「その時が訪れたのだな」とできるだけ冷静に受け止める。
死は運命というよりは神の意思であり、はじめから定められていた予定だ。

この点、いつどうやってこの世を去るのかは、その人の過去の行い(カルマ)によって決まるという仏教やヒンドゥー教とは根本的にちがう。

そのアメリカ人が知ってるキリスト教では、人の死を当然のものと受け入れて、もし80歳ぐらいでなくなると「人生を十分に楽しんで、存分に生き切った」ということで、葬式の時にはみんなでその死を祝福したりよろこんだりもする。
でも子どもの死は別。
こればかりは祝うことはもちろん、受け入れることもできずにただ泣くしかできない。
人生のよろこびや楽しみをほとんど経験するまえに、この世を去ることは最大級の悲しみとされているから、そんなかわいそうな子どもが地獄に送られるという仏教の考え方は、このアメリカ人には理解できないほど残酷に聞こえる。

でも、だからこそのお地蔵さん。
「それでも地蔵なら… 。地蔵菩薩ならきっと何とかしてくれる…!」とこっちは言ってるのに、「いやいや、それはひどい!仏教の考え方は最悪。本当に大嫌い」と言いやがる。
仏教ではどんな人でも、必ず救ってくれる存在がどこかにある。そんな慈悲に感動すると思ったら、仏教を全否定された。
まぁアメリカ人がどう思ってもお地蔵さんにはノーダメージ、何の影響もないから好きにすればいい。

とにかくこんなことから、すべては神の意思によるというキリスト教と、すべてはカルマできまる仏教の違いがよく分かりますた。

 

ちなみにヒンドゥー教でも死者は火葬されることになっているけど、幼児の場合は、遺体を焼くのではなくてそのまま川に流す(水葬)。
この理由は、自分の命を全うしなかったという”罪”のためと言われることが多い。
逆に、幼児はケガレがなくて神聖だから、火葬する必要はないという話を聞いたこともある。
ヒンドゥー教も仏教と同じく、すべてはカルマできまる。

 

 

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外国人には不思議な日本人の信仰「宗教はファッションだ」

 

2 件のコメント

  • > 仏教ではどんな人でも、必ず救ってくれる存在がどこかにある。そんな慈悲に感動すると思ったら、仏教を全否定された。
    > とにかくこんなことから、すべては神の意思によるというキリスト教と、すべてはカルマできまる仏教の違いがよく分かりますた。

    あはははは、そういうキリスト教徒の歪んだ考えには、私も出くわしたことが何度もありますよ。
    彼ら(彼女ら)がどうしてそこまで仏教に反発するのかという理由は、「人間の行いや努力に対して全く無関心で、幼い子供の不運な死に対しても何ら救いの手を差し伸べようとしない、そんなお前たちの神はどうしてそれほど残酷なんだ! そんな残酷な神を崇めるとは、それでもお前たちには慈悲の心があるのか!!」という仏教徒からの(論理的な)非難に、彼らは反論できないし、耐えられないからですよ。

    人間の努力とは全く無関係に善悪を決める独り善がりな神の存在? なんと残酷で勝手なことか。そんな考えが基盤であるからこそ、前近代の世界で、十字軍とか、奴隷制度とか、ユダヤ人虐殺とか、植民地主義なんておぞましい行いを平気でなしていたのですがね。

  • こちらも神の前では平等とかきれい事抜かすキリスト教は大嫌いとでも言うしかないのでは?
    自分達が信じる宗教の方が正しいとでも言うかのような上から目線の宗教は日本には不要なので。大体、宗教戦争の原因はその一神教の傲慢な考え方にある。「お前がそう思うのならそれで良いんじゃね?お前のなかではな」とでも返すしかありませんね。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。