さあ、前回の続きだ。
下の黒田勝弘氏のコラムから、韓国人を怒らせた部分を探してみよう。
70周年記念の銅像は優勝当時の力走する姿そのままだが、胸には案の定、日の丸ではなく韓国の国旗が刻まれている。銅像は近くソウル市からベルリン市へ寄贈されるという。
これが「あった歴史よりあるべき歴史が重要」という“韓国人の歴史観”である。孫選手の快挙もまた日本統治下の近代化コリアの成果と思うのだが、そんな客観的な歴史観は認めてもらえない。
イザ!:【外信コラム】ソウルからヨボセヨ 孫基禎の銅像
答えは、「孫選手(ソン・ギジョン)の快挙もまた日本統治下の近代化コリアの成果と思うのだが」という部分。
韓国人にはこれが気に入らなかった。
2006年9月1日の中央日報では、こんな「黒田批判」をしている。
「孫基禎選手の快挙は日本近代化の成果だと思うが、(韓国人は)こうした客観的な歴史観を認めようとしない」。
日本の極右論客、黒田勝弘・産経新聞ソウル支局長は「‘韓国人の歴史観’は理解できない」とし、このように述べたと、東亜(トンア)ドットコムが1日報じた。
でもこの中央日報の記事には、黒田氏が書いた内容に間違いがあるとは書いていない。
具体的な事実をもって反論するのではなくて、ただ「妄言」や「極右」とレッテルをはっているだけでは、2chの書き込みと変らない。
それでは中央日報の名が泣くぞ。
「孫基禎選手の快挙は日本近代化の成果だと思う」という黒田氏の意見には、ボクも賛成。
つまり、「産みの親と育ての親の違い」ということ。
孫基禎が偉大なマラソン選手だったことに異論はない。
けれど、彼がベルリンオリンピックで金メダルを取ったことと彼が育った日本とは切り離すことができない。
「彼が金メダリストを取ることができたのは、日本のおかげだ」というのは言い過ぎだと思う。
でも、「その陰で多くの日本人の協力があった」と考えることは不自然ではない。
2016年のリオオリンピックで、バドミントンの「高松ペア」が日本人として初めて金メダルを取った。
この快挙は、選手だけの力ではない。
本人がインタビューでそう言っている。
優れた韓国人コーチがいたからこそ、この偉業があったのだろう。
朝鮮日報でも、記事でこう書いている。
韓国人監督で日本勢初の金=バド女子ダブルス
リオ五輪バドミントン女子ダブルス準決勝で韓国の鄭径恩(チョン・ギョン・ウン)・申昇チャン(シン・スンチャン、チャン=王へんに賛)組を破り、決勝に進出した日本代表ペアが五輪史上初の金メダルを獲得した。
その背景には1992年のバルセロナ五輪金メダリストで、史上最高のダブルス選手と言われる朴柱奉(パク・ジュボン)氏の姿があった。
高松ペアは日本で生まれ育った日本人で、韓国人のコーチに育てられて金メダルを取っている。
「反日感情」という要素をのぞけば、孫基禎選手のケースにもこれと重なるところがある。
孫基禎が金メダリストを取るために、いろいろな協力をしていた日本人がいたことは間違いのない事実。
だから、「孫選手の快挙もまた日本統治下の近代化コリアの成果と思うの」とか「日本が育てた」ぐらい書かせてれても、いいと思うのだけれど。
孫基禎(ウィキペディア)
あと、今気がついたことがある。
先ほどの2006年のコラムでは、「銅像は近くソウル市からベルリン市へ寄贈されるという」と書いてあった。
そして2016年には、中央日報にこんな記事があった。
ベルリン五輪マラソン金メダリスト孫基禎の銅像、胸には日の丸ではなく太極旗
これに先立ち、同財団は孫基禎の優勝70周年である2006年に銅像2体を製作して一つはソウルオリンピック主競技場に、もう一つはベルリン・オリンピアシュタディオンに設置しようとした。
しかし、ドイツ当局との協議が難航したためこれまでベルリン側の銅像は駐ドイツ大使館で保管してきた。最近になってスタジアムではなくその近くに設置することで合意にこぎつけた。
「これまでベルリン側の銅像は駐ドイツ大使館で保管してきた」と書いてある。
つまり、2006年にベルリン市に寄贈したこの銅像は、今までドイツの韓国大使館で保管されていたことになる。
ということは、韓国は孫選手の像をベルリン市に贈ったけれど、「ベルリン市がそれを受け取ることを断った」ということだろう。
この事態を、天国にいる孫選手はどう思っているのだろう?
「それでこそ、我が韓民族」と苦笑いしてるかも。
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