ことし2021年は聖徳太子が亡くなってから、ちょうど1400年という記念の年。
それでネットでは「聖徳太子の千四百回忌」といったことばが出てくるし、大阪・四天王寺は「聖徳太子ウォーキング」という一見謎な行事を行うらしい。
ちなみに聖徳太子が建てた四天王寺では最大級の敬意をもって、「聖」を付けて「聖徳太子千四百年御聖忌(ごせいき)」と呼んでいる。
574年に生まれた聖徳太子と同じ時代を生きたのが、570年ごろアラビア半島に生を受けたムハンマドだ。
日本の学校ではイスラム教を始めた人物としてならうはず。
アジアの東と西で同時に生まれたこの2人には、現在にも大きな影響を与えているという共通点があるから、これからそれをみていこう。
「で、ホントにいたんすか?」というツッコミをよくされる聖徳太子は、十七条憲法で「和をもって貴しとなし」を第一に持ってきて協調を強調した。
ケンカをしないで、互いに分かり合って心をひとつにすることを大事にする。
そんな聖徳太子の「和の精神」はその後の日本人の共感をよんで、1400年の歴史を通じて日本人の価値観や考え方の形成に大きな影響を与えてきた。
「和をもって~」が有名なんだが、太子は十七条憲法のほかの条文でも協調することの重要性を唱えている。
日本人の間における「和」概念の普及・浸透に多大な影響を及ぼし続けている。ちなみに第十条では「人それぞれ考えに相違があるので、他人と考えが相違しても怒らない」こと、第十七条では「独断に陥らず、他者とよく議論をする」ことが、述べられている。
人との協調を何よりも尊重する。
自分との違いを「間違い」と思って怒らないし否定しない。
よく話し合ってから決断する。
聖徳太子が言ったこんな「和の精神」は現代まで受け継がれ、いまでも社会で大事にされている。
でもそれが拡大解釈されて、『桃太郎』の最後で鬼と桃太郎が話し合って笑顔で和解し、その後仲良く暮らしましたとさ、というハッピーエンドは原作破壊にもホドがある。
話は変わってアラビア人のムハンマドだ。
ムハンマドがアッラーのことばを人々に伝えて始まったというイスラム教が、いまの世界に決定的な影響を与えていることは、もはや言うまでもなし。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教のいわゆる「アブラハムの宗教」のなかで、ムスリムの考え方ではイスラム教が最終形態にして完成形、これが最も正しい神の教えになる。
天使ジブリール(ガブリエル)からアッラーのことばを伝えられ、「ふんふん」とうなづくムハンマドの図
いまイスラム教に関して世界中の注目を集めているのが、アフガニスタンの新しい支配者となったイスラム主義組織「タリバン」。
だが待ってほしい。
まえにテレビ番組で見たイスラム指導者が、「日本人の和の精神とイスラム教の考え方はとても似ています。イスラム教もまた他者との協調を重視しているのです」と指摘していたし、実際、自分との違いを認めてそれを尊重するムスリムは多くいる。
ここでは、いま話題のタリバンだけを取り上げることにする。
アフガニスタンの統治を始めたタリバンは、イスラム主義に基づく宗教警察の「勧善懲悪省」を復活させた。
これは、協調を大事にする、他人との違いを認める、よく話し合うといった輪の精神の真逆にある恐ろしいもの。
20年前のタリバン政権時代は勧善懲悪省によって、テレビの視聴が禁止されたし映画館もつぶされた。
女性は男性と一緒でなければ外出できなかったし、しかもその際は、全身を覆うブルカを着用しないといけなかった。
女性が教育を受けることも、働くことも禁じられた。
男性にも長いあごひげが義務づけられて、タリバンの主張するイスラム教の考え方に反すると、男性も女性も容赦なくムチで打たれた。
聖徳太子や日本人が理想する世界の反対がそこにはあった。
偶像崇拝を禁止する思想から、バーミヤンの巨大仏像を爆破したことにも勧善懲悪省が関わっていたという。
仏教を大事にして、日本に広めた聖徳太子からしたらきっと激怒案件。
20年前とは違うだろうけど、これからアフガニスタンではタリバンの独裁政治が始まって、彼らの理想とするイスラム教の国になることは間違いない。
和の世界と恐怖政治。
「タリバンと一緒にすんなや」というイスラム教徒の声は当然あるとしても、1400年前に誕生した人物が後世に与えた影響は本当に大きかった。
> 「タリバンと一緒にすんなや」というイスラム教徒の声は当然あるとしても、
そんな声は聞いたことがないですね。
イスラム教徒との付き合いがあれば聞きます。