中東のエジプトの隣にヨルダンって国がある。
日本では、「昼なのにヨルダン」と突っ込まれることもあるこの国はイスラム教を国教としている。
そんなヨルダンを旅行中にビーチへ行って、海水に足をつけたり砂浜に座ってのんびりしていると、現地のおっさんが近づいてきて、「どうだ?ここは気持ちいいだろう」とNOを言わせない雰囲気で声をかけてくる。
「お、おう」と答えると、満足そうな顔で「それは神(アッラー)のおかげだ。だからおまえも神に感謝しないといけない」と言う。
ハ?とこのときは意味不明だったけど、これはイスラム教徒にとっては当然の発想だった。
さて、きのう9月12日は宇宙の日だった。
1992年のこの日、毛利衛さんを乗せたスペースシャトル・エンデバーが、宇宙へ向けて打ち上げられたことを記念してこの日ができたらしい。
宇宙の日はこれでいいとして、では「宇宙の始まり」となるとそれは一体いつなのか?
一般的には約140億年前、超高温・高密度の「ビッグバン」が急膨張したことで宇宙が誕生したといわれている。
だから宇宙の根源をたどると、ビッグバンという小さな「点」だったのだ。
くわしいことは ビッグバン を見てくれ。
科学的には地球をふくめてこの世界が誕生したのはビッグバン理論による。けどその知識のなかった古代は、宗教的にはまったく違う考え方がされていた。
これからはますます国際化が進んでいって、日本人でも外国人と知り合う機会が増えてくるから、海外の一神教と日本の伝統的な考え方との重要な違いをここで理解しておこう。
名前が違うだけで、まったく同じ神を信仰するイスラム教・キリスト教・ユダヤ教徒の人口は全世界で約35億人、つまり人類(約79億人)のおよそ半分になる。
この3つの宗教の教えでは、この世にあるすべては大体こんな過程で神がつくったことになっている。
はじめに神は天と地とを創造した。
神が「光あれ」と言うと、光があった。
神はその光を見て良しとした。神はその光と闇とを分けた。
光を昼と名づけ、闇を夜と名づけた。夕となり、また朝となった。
第一日である。
という感じに、全宇宙・世界の創造者である神は第1日目に天と地(宇宙と地球)と光、それから昼と夜(闇)をつくったことになっている。
そしてこれが翌日以降の神さまの創造活動だ。
2日目 神は空(天)をつくった。
3日目 神は大地をつくり、海が生まれ、地には植物を生えさせた。
4日目 神は太陽と月と星をつくった。
5日目 神は魚と鳥をつくった。
6日目 神は獣と家畜をつくり、神に似せた人をつくった。
7日目 神は休みをとった。
キリスト教文化圏で7日目の日曜日が休日になっているのは、聖書にあるこの話に由来する。
イスラム教・キリスト教・ユダヤ教の3教では、こうして神によって世界のすべてが創造されたとされている。
これ以上の情報はここをクリックされたし。
そんな一神教の創造説とは違い、日本では『日本書紀』にある神話によると世界は自然に発生したことになっている。
まずはじめに、天地の分かれていない混とんの状態があった。
それから軽くて清浄なものが上がっていき天となって、重く濁ったものが沈んで大地ができる。
これが世界の始まりだ。
そしてこのあと天地のあいだで、国常立尊(くにのとこたちのみこと)や国狭槌尊(くにのさつちのみこと)といった神々が誕生する。
神がすべてをつくったのではなくて、日本の伝統的な考え方では、混とんが変化して神が自然に生まれてその後、イザナギとイザナミが日本列島をつくったことになっている。
これ以上のことは 天地開闢 で確認。
ただ、神道に創造神がまったくいないということでもない。
古事記には「天之御中主神」(アメノミナカヌシノカミ)という神が出てくるし、キリスト教の影響を受けたという江戸時代の国学者、平田篤胤(あつたね)はそれを万物の創造神と考えた。
でもこれはあくまでも例外。
キリスト教やイスラム教の一神教と違って、神道では無からすべてをつくり出した神はいないと考えていい。
ではここで、話をヨルダン人のおっさんに戻そう。
彼が言いたかったのは、「おまえが気持ちいいと感じた海や風、空気などはすべては神がつくり出したもの。おまえがいま心地よく感じるのも神のおかげだ。だから感謝しろ」ということだろう。
でも、この世界は自然発生的に生まれたという、天地開闢を伝統思想とする国から来た人間にこの話はよくワカン。
信仰の強さには個人差があって考え方もそれぞれ違うけど、「世界の始まり」ついてはどちらかといえば、海外ではこのイスラム教徒のおっさんのような見方をする人の方が多いだろう。
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