新型コロナウイルスの日本侵略が止まらない。
医療・政治・国民の日本の総力で対抗しても感染拡大を防ぐことができず、政府はとうとう緊急事態宣言をだすこととなった。
東京の場合は大学、スポーツクラブ、映画館、博物館、図書館、百貨店、ショッピングモールなんかが基本的に営業休止を求められる。
さすが戦後最大の国難。日本に手痛いダメージを与えてくれる。
ここまでの被害を出さないために、少し前、世界遺産の仁和寺で20人以上の仏教僧が密教の経典を唱えていたというのに。
京都新聞の記事(2020/3/4)
密教経典「理趣経」などを読経した。続いて、本尊の阿弥陀如来像を前に、同派宗会議長の木村正知さん(67)が祈願文を読み上げ、「物故者 追福菩提」「感染者 早期回復」「病魔撲滅 早期終息」などと求めた。
新型コロナ「病魔撲滅 早期終息」僧侶祈る 京都・仁和寺、犠牲者追悼や患者回復も
仁和寺が真言宗だったというのは初耳学。
さて、この読経にネットの反応は?
・効かなかったら信心が足りないってことで担当者獄門?
・これで坊主集団感染したら笑える
・昔は疫病蔓延すると寺が病院となってそれなりに役に立ってたんだがね
・大仏仕事しろよ
・祇園祭は疫病退散が発端。
・流行が終息するまで続けて「我々の加持祈祷が病魔を退散させた」とか言うのか
密教(秘密教)というのは大日如来を本尊とする仏教のひとつで、呪術的な祈祷(きとう)を重んじるという特徴がある。
空海が中国の僧・恵果から学んだ密教を基盤として真言宗を開いて、平安時代の貴族に信仰された。
*真言とは古代インドのサンスクリット語「マントラ(mantra)」を漢字にしたもので、「仏の真実の言葉」という意味。
真言(マントラ)を唱えれば、悪霊や悪鬼がもらたす病気やさまざな災難から身が守られると人々は信じていた。
奈良時代の仏教といえば東大寺の大仏が象徴するように、偉大な仏の力で国を守ることが求められた。いわゆる鎮護国家ってやつ。
平安時代になると仏教が個人のレベルにまで下りてきて、貴族本人やその一族の安全などをお坊さんに祈祷してもらっていた。
あとは評論家の山本七平氏の文章を読んでもらおう。
彼らが最も恐れたのは、病気や災難であり、それらから自分を守ってくれる呪術を仏教に求めたわけである。ここに呪術仏教が要請され、それに対応したのが密教で、その神秘性や不可解さ、それを裏づけるような深遠な哲理は強く人びとをひきつけた。
「日本人とは何か。(上巻)(PHP文庫)山本 七平」
「鬼は外~、福は内~」と不幸をもたらす鬼を追い出す現代の豆まきは、平安時代の「追儺(ついな)」という鬼払いの儀式に由来する。
*豆(まめ)には「魔を滅する」(魔滅)の意味があるという。
くわしいことはこの記事を。
新型コロナウイルスの感染拡大について安倍首相は、「よく見えない、よく分からない敵との戦いは容易なものではない。政府の力だけでこの戦いに勝利を収めることはできない」と言った。
確かにウイルスを肉眼で見ることは不可能で、平安時代の日本人は病気や不幸の原因を「物の怪」(もののけ)にとりつかれることで起こると理解し、それに「怪異」を感じていた。
そこで密教ですよ。
この怪異感からの解放を加持祈祷に求めたわけである。その要請に応じたのが密教である。真言も天台もしだいに密教の比重が高まり、互いによりすぐれた呪術性を強調して競いあった。
「日本人とは何か。(上巻)(PHP文庫)山本 七平」
僧侶の真言(マントラ)と政府の緊急事態宣言、聖俗の両面から攻めていってもコロナとの戦いで勝利をつかめないとしたら、あとは南無阿弥陀仏を唱えるしかなくなる。
昔の日本(つまり天皇家を中心とする日本王朝国)へ仏教が大々的に導入されたのは、「鎮護国家」を名目として、実は天皇家や藤原家に仇(あだ)を成す怨霊(クーデター失敗で廃嫡された長屋王など)を退散させようとしたものだ、という説もありますね。仁和寺の法師と言えば、徒然草の時代にはアホなことを色々やっていたぐうたら坊主も多かったみたいですが。最近では、真面目に悪霊退散・病魔退散を祈願するようになったのですね。
とは言っても、私は、宗教法人の原則非課税扱いには反対です。収支をちゃんと財務帳簿で報告・公開し、収入には適切な基準に基づく課税をすべきだ。
イエスはキリスト日本まで逃げてきて青森で死んだという説もあります。
歴史にはいろんな説があって面白いのですね。