アメリカ人を助手席に乗せてドライブしていて赤信号で止まっとき、「あれはなんだ?」と前の車に貼ってあった「もみじマーク」を指さす。
これは「高齢者が運転してますよ」という合図で、周囲のドライバーに配慮(や注意)を呼びかけている。
日本では警察庁が「高齢運転者標識を活用しましょう!」と呼びかけるようなモノで、高齢者には必要なもの。
そんな話をしたら、「アメリカだったらきっと差別になる」と言われてビビった。
まあそれは日米の違いでいいとして、問題は隣国さんのコレだ。
朝鮮日報の記事(2021/10/01)
「チョッパリ車には譲らないぞ」…リアガラスに反日ステッカー、韓国ネットで話題
車の後部ガラスにこんな”決意”を示すステッカーを貼った車がネット上で拡散されて、いま韓国で議論になっている。
これはドライバーが「日本製品不買運動をアピールするため」のモノという。
そんなノー・ジャパン運動のニュースなんて数年前から何度も聞かされて、すっかり耐性がついたから、それを呼びかけるステッカーぐらいじゃいまさら動じん。
公共交通機関(ソウル交通公社)が地下鉄の車両に貼ったステッカーのほうが衝撃的だった。
画像:Ho Yuchih
想像してごらん。
東京メトロが「ノーコリア」のステッカーを車両に貼って、乗客に韓国製品のボイコットを呼びかけたとしたら。
新聞・テレビ・ネットの各メディアに取り上げられて袋叩きにされるはずだ。
個人がマイカーに反日ステッカーを貼るぐらいだったなら、全国紙が報じるほどのニュースにはなっていなかった。
韓国で賛否の分かれる議論となったのはこの言葉だ。
「チョッパリ車には譲らないぞ」
「チョッパリ」は日本人への侮辱表現で、韓国社会では在日韓国・朝鮮人をバカにする意味で「パンチョッパリ(반쪽발이)」と言うことがある。
黒人に対する「ニガー」、韓国・朝鮮人に対する「チョウセンジン」と同じような侮蔑語だから、これを使えば差別行為になる。普通ならね。
でもあちらには反日を正義と理解する風潮があるから、記事によると、このステッカーにはこんな好意的な声がある。
「あの程度なら不快じゃない。スッキリしますね」
「覇気がある愛国者だ」
「一度ガソリンを入れてあげたい」
同時に、これは一線を超えていると思う人もいる。
「あえてヘイト(嫌悪)表現を使う必要があるだろうか」
「ノー・ジャパン(NO JAPAN)くらいが適切だ」
「日本で嫌韓だと言っている人と変わらない」
朝鮮日報は全国紙だからこのステッカーに対して、“どっちもどっち”ではなくて、「市民が個人的に愛国心を発揮するのはかまわないが、こうした嫌悪表現は使うべきではない」とたしなめてくれたらよかったのに。
ノー・ジャパン運動は「2019年7月、日本政府が韓国製品の輸出規制を強化する措置を実施したことで触発された」と書いたり、その後の不買運動の影響で「シュウウエムラ」や「GU」などの日本企業が韓国から撤退したことを伝えているものの、朝鮮日報の記事にこの行為を非難する言葉はない。
そんな韓国はいま日本との関係改善を心底期待している。
でも日本では冷めた見方が広がっているから、それがうまくいかない。
上の記事の2日前、朝鮮日報は「民党新総裁に「ハト派」岸田氏 韓日関係改善は依然困難か」の記事でこう書いた。(2021/09/29)
「韓国も朝鮮半島平和プロセスの進展のために日本の協力が必要な状況にある」
「日本国内の雰囲気も韓国に友好的ではない」
韓国が日本の協力を必要としている状況と日本の厳しい世論を知っているのなら、「差別行為はいけない」とハッキリ言ってほしかった。
「チョウセンの車には譲らないぞ」なんてステッカーに、日本のメディアが中立でいるとは思えない。
個人が反日ステッカーを貼ることよりも、メディアが日本人への侮辱行為を明確に否定しない、またはできない空気が韓国社会あることのほうが大きな問題だ。
こちらの記事もいかがですか?
韓国でのACL旭日旗問題。川崎への処分の前に日本は正しい説明を。
今日の国際的常識を持っていない部族的思考です。
同じ韓国人として恥ずかしいです。
現代の国際関係は古代のように国家自ら自給自足する生活ではなく、輸出と輸入、互いの協力関係を通じて発展しているのに「チョッパリ車には譲らないぞ」を書いた人は国際的な常識を持っていません。
韓国の自動車部品メーカーから日本のトヨタや日産自動車に部品を納品しており、日本から半導体素材を輸入しなければ、世界的レベルの三星(サムスン)スマートフォンは作れないという事実を、この者は知りません。
私もNISSAN車を所有しているのですが、利子を街で出会ったらけんかになりそうです。
そのような状況が発生したら同僚の韓国人たちは多分あの子の肩を持つようになると思います。