1886年(明治19年)、日本人の乗客を乗せたノルマントン号が和歌山県の沖合いで沈没した。
このとき西洋人は全員助かったのに、20人以上いた日本人はすべて死亡したことから、当時の日本人はイギリス人船長らが人種差別意識から同胞を見殺しにしたと考え、「残忍非道の船長」と全国民が激怒する。
最近、そんな悲しい出来事について書いたわけですよ。
数年前、日本にいるイギリス人3、4人と話をしていたとき歴史の話題になって、このノルマントン号事件を知っているか聞いてみた。
すると全員が初耳。
「えっ!イギリス人が日本人を見殺しにしたの?そんなことがあったなんて知らなかった。とても申し訳ないと思うよ」
という部分の最後のひと言は、いまボクが勝手に付け加えたもの。
日本に数年住んでいた彼らが、ノルマントン号事件についてこのとき初めて知ったのは事実。
でも、だからといって罪悪感は特にない。
話を総合すると大体こんな感じだ。
「19後半から20世紀前半、イギリスは世界中に領土を持っていて、各地で差別や虐殺とか悪いことをしまくっていたからね。日本でそんなことをしたと聞いたら驚くけど、ショックは受けない。彼ら(あの時代のイギリス人)ならやりそうなことだ。」
この場にいたイギリス人は「過去の蛮行」を否定することはないけど、鮮やかなほど現在と切り離して理解していた。
そのころ大英帝国は世界的な大帝国で、1921年にはこれほどの領地があった。
領土のどこかで常に太陽が昇っていることから、大英帝国は「太陽(日)の沈まない国」( the empire on which the sun never sets)なんて呼ばれる。
「太陽の沈まない国」はイギリスだけじゃなくて、ハプスブルク家のスペイン王国(スペイン帝国)もそう呼ばれた。
上とは別の機会に別のイギリス人と話していて、シンガポールはかつてイギリスの植民地だったとボクが言うと、「それは知らなかった!」と驚くからこっちも驚いた。
「ライオンの町」を意味するマレー語を、イギリス人が英語で「シンガポール」と呼んだことから現在の国名になったのに、イギリス人がそれを知らないとは。
マレー半島を植民地支配していたことを初めて知ったそのイギリス人は、
「とにかく当時の大英帝国は広大だった。しかも時代によって領土が増えたり減ったりしていたから、一般の人は「世界中に植民地をあった」ぐらいのザックリした認識しかない。正確な知識を持っているのは歴史に詳しい人だけだよ」
てなことを言う。
たしかに上の地図の赤い部分が時代によって変わっているのだから、「太陽の沈まない国」の領土をすべて覚えるのは普通の人じゃ無理だ。
当時のイギリス人はそれぞれの植民地で、差別や虐殺などをしていたのだろうから、一般人がそれらすべてを記憶するのも不可能。
極東の島国で起きた事件を知ってるイギリス人なんて例外だろう。
だとしても、「驚くけど、ショックは受けない。彼らのやりそうなことだ。」という言い方が他人ごとのようで印象に残った。
日本では何世代も前の過去を、現在の自分たちの問題と考えている人がけっこう多い気がするのに。
でも「世界標準」は、昔の自国民を”彼ら”と呼ぶようなイギリス人の歴史認識だろう。
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