自分の親は、自分で選ぶことができないから「親ガチャ」。
日本の親ガチャは言葉アソビのレベルだからいいとして、深刻なのは「国ガチャ」だ。
イスラム主義のタリバンが20年にもわたる内戦を制し、前政権を追い出してアフガニスタンの支配権を手にすると、次に待っていたのは壮絶な食料難。
この敵は銃やミサイルで撃退することはできないから、ある意味、米軍や前政権以上にやっかいだ。
AFPの記事(2021年10月28日)
夫が2人の娘を売ったファヒマさんは何度も泣いたという。「夫は娘たちを手放さなければ全員死んでしまうと言った。何も食べる物がないのだから」。
「生きるため」娘売る両親 干ばつで児童婚急増―アフガン
長年の内戦や干ばつなどの影響で、いま多くの国民が深刻な飢えに苦しんでいるアフガンでは、食料のために娘を売るか、それとも一家が餓死にするかの選択を迫られる親がいて社会問題になっている。
6歳の娘を3350ドル(約38万円)、1歳半の娘を2800ドル(約32万円)で売った(そうするしかなかった)上のファヒマさんは「食料のため娘を売るのは申し訳なく思う」と話す。
こうした子どもは児童婚の対象になるという。
このニュースに日本のネット民の反応は?
・凄いね
自分の子売るなんて
・中東って前からそんな感じでしょ
数年前に見たレバノンかどっかの映画でもそう言うシーンあったぞ
・自分の子供とは思わないんじゃない?
・数十年後のアフガンでまたおしんが大ヒットしてしまうな
・こういうの、法律とか倫理とかの観点では悪い事になってるけど、それは綺麗ごとでしかないと思ってる
こんな人道的危機と直面していたら、「親ガチャにはずれたー」とか言ってる余裕はない。
日本やアメリカなど別の国に生まれていたら、自分が食料と交換されて、その後の運命も決められることはなかった。
「国ガチャ」でこれ以上ないハズレを引いてしまったとしか思えない。
さて、国内をみると「凄いね 自分の子売るなんて」という人もいたけど、日本も昭和初期までは食糧難から親が娘を売りに出すことはあったのだ。
「娘を売るときは相談してください」と役場が村民に呼びかける。
アメリカ発の世界恐慌の影響を受け、日本も1930年~1931年(昭和6年)に大不況におそわれた。
これを 昭和農業恐慌(昭和恐慌)という。
特に冷害で大凶作にみまわれた東北や北海道では、「夫は娘たちを手放さなければ全員死んでしまうと言った。何も食べる物がないのだから」という現在のアフガンのような状態におちいる家もあった。
飢餓水準の窮乏に陥り、貧窮のあまり東北地方や長野県では青田売りが横行して欠食児童や女子の身売りが深刻な問題となった。小学校教員の給料不払い問題も起こった。
いまを生きる日本人は「時代ガチャ」の勝者。
こんな絶望的な状態から日本人を救ってくれたのが、並河成資(なみかわ しげすけ)が1931年(昭和6年)につくり出した「農林1号(水稲農林1号)」という稲の品種だ。
これによって寒い北陸や東北でもおいしいお米が育つようになり、この時代を生きた評論家の山本七平氏は農林1号をこう評価した。
これによってどれだけ多くの人が救われたかわからない。それは単に東北の農民を冷害から救っただけでなく、戦中戦後の食糧事情の苦しいとき、多くの人を飢餓や栄養失調から救った。
「昭和東京ものがたり (山本七平)」
でもいまのアフガンで、こんな奇跡のようなことが起こるとは思えない。
AFPの報道によるとタリバンは一部労働者に、金の代わりに小麦粉を支給することを決めたという。
「タリバン、労働対価に小麦支給 飢餓対策で」(2021年10月25日)
国際的な支援はあるだろうけど、娘を売って何度も泣く親がいなくなる日はまだまだ先になりそうだ。
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現地の事情は知りませんが、イスラム教では「自分が生きるためには娘や妻を売ってもよい」とされているのですかね? 厳しい経典宗教の存在しない日本であればともかく、イスラム教国であれば、宗教が「自分の家族を売買することを禁じる」だけで、少なくとも人道的問題だけはすぐに解決するはずです。ただそれでも、食糧問題は解決しませんが。
一方、日本の江戸時代には、食糧難になると、「娘を売る」ことよりもずっと残酷な「口減らし(=子殺し)」という手段が取られることもあったのですがね。娘を売るのと、子供を殺すのと、どちらがより非人道的であるか、私には分かりません。
>宗教が「自分の家族を売買することを禁じる」
これは一家全員が飢え死にするという最悪の事態を招きます。
江戸時代より平安時代、それより縄文時代と時代が古くなるごとに食糧難による悲劇は増えていきます。
>>宗教が「自分の家族を売買することを禁じる」
>これは一家全員が飢え死にするという最悪の事態を招きます。
??? それはひどい偏見ですね。
「自分の家族を売買することを禁じられたので、一家全員が餓死して、やがてはその宗教の信者がいなくなってしまう」などということが起きるはずはないと思う。
「自分の家族を売って、自分は生き延びる」という方法を宗教が禁じたならば、きっと、それに代わる方法で生き延びることを考える人々が出てくるだろうと思いますよ。たとえば、「暮らしに余裕のあるものは今よりいっそう巨額の喜捨(ザカート)をせよ、教会はそれを資金に貧しい人々が生きるのを助けよ」とかね。
そこまで思い至らないのは、結局、その宗教が「この問題を解決しようとする気がない」という現状を認めているだけじゃないですか。やはり、野蛮な国の宗教って、その程度のものなのですかね。
>野蛮な国の宗教って、その程度のものなのですかね。
「ひどい偏見」はこれだと思います。
子どもを売らないと生きていけないのは偏見ではなく現実です。
そうしないで済む方法があれば、それをとっているはずです。