類は友を呼ぶ。
米国の大学で日本や中国などの東洋史について学んで、歴史に明るいアメリカ人とジョイフルで話をしていたとき、彼がジャパンの由来に興味があるというので、軽く説明して差し上げた。
イタリアの商人で旅行家のマルコ・ポーロ(1254〜1324)が中国(元)に行ったとき、東方に日本という国があると聞く。
そして母国に戻ったあと『東方見聞録』で、大量の黄金や宝石のあるジパング (ZIPAN・ZIPANGU)という島国があることをヨーロッパに伝え、やがてそれが英語の「ジャパン」になった。
そんな話をややドヤ顔ですると、「いや、それは違うだろ」とヤツが否定しやがる。
「ジャパンの由来ってほかに何があんだよ?」と思ってきくと、それはマルコ・ポーロの功績ではなくて、日本を意味するマレー語がヨーロッパに伝わって、それがジャパンになったのだと彼は言う。
いやいや、それこそ違うだろ。
さすがにマレー語はないだろ。
このときは、どっちが正しいか白黒ハッキリつけて、敗者は勝者のメシ代を出すという話も浮上したけど、それはやめて別の話題に移って話は終了。
英語の JAPAN の由来は、「マルコ・ポーロが持ってきました」説で間違いないはず。
「精選版 日本国語大辞典」でジパングの解説を見ると、ホラこう書いてあるじゃん。
「マルコ=ポーロ著「東方見聞録」中で日本にあてられた地名。中国の東一五〇〇海里の島で、黄金宝石に富むとされる。ジャパン(Japan)をはじめとして欧米で日本をさす語はこの語に由来する。」
アメリカの大学で学んだ東洋史とやらは大したレベルじゃない。
と思っていた時期が私にもありました。
最近、別件で英語版ウィキペディアの「Japan」を読んでいたら、「Etymology(語源)」にこんな説明があって、アレ?と思った。
「The old Malay name for Japan, Japang or Japun, was borrowed from a southern coastal Chinese dialect and encountered by Portuguese traders in Southeast Asia, who brought the word to Europe in the early 16th century. 」
日本を意味する古いマレー語の名称「Japang」または「Japun」は、中国南部の海に面した地域の方言を借用した。そして東南アジアでその言葉を知ったポルトガルの商人が、16世紀初頭にヨーロッパに持ち込んだ。
もちろんここには、マルコ・ポーロがヨーロッパに伝えたという話も紹介されている。
日本では「ジパング」から「ジャパン」になったと言われているが、実はその説には明確な根拠がないのだ。
だからこの2つを結びつけるのは、証拠ではなくて想像だろう。
日本の国名について、さらにくわしく説明する「Names of Japan」にはこう書いてある。
「It is thought the Portuguese traders were the first to bring the word to Europe. It was first recorded in English in 1577 spelled Giapan.」
ポルトガルの商人が初めてその言葉(マレー語の“日本”)をヨーロッパに持ってきたと考えられている。それは1577年に初めて英語で記録された。
「The word was likely introduced to Portuguese through the Malay: Jipan.」
その言葉(英語のジャパン)は、マレー語の「Jipan」をからポルトガル語に伝わったと思われる。
本の中で初めて「日本」が登場したのは1577年ということを考えると、つながりとしてはマレー語由来説の方が正しいような。
ポルトガル人が伝えた「日本」は、それまでヨーロッパにあった「ジパング」とは別のところだったという説もある。
英語の JAPAN が、「日本」の中国語読みを起源にしていることは間違いない。
そしてヨーロッパにはマルコ・ポーロが最初に紹介して、あとからポルトガル人が日本を意味するマレー語を伝えたことも事実だ。
この2つから考えると、ジャパンの由来はこんなものだろう。
インフルエンサーとしてのマルコさんの実力はいまいちで、「ジパング」は限定的にしか伝わらなかった。
ヨーロッパに広く伝えたのはポルトガルの商人らで、それを元に「Japan」の英語も作られた。
世界で最も権威のある『オックスフォード英語辞典』では、英語のジャパンは中国語の「Jih-pŭn」がマレー語を経てヨーロッパ諸語に取り入れられたと説明しているという。
ジパングが語源になったという説は、サラリと否定されている。
いまの日本では「北伝説」を採用しているけど、英語圏では(おそらくヨーロッパでも)「南伝説」が正しいとみているようだ。
だからもしジョイフルでデュエルを申し込んでいたら、きっと割り勘になってた。
ちなみに戦前の日本は、「我ガ帝国ノ威信ヲ損スル」という理由で「ジャパン」という呼称を嫌い、世界各国に日本を「大日本帝国」と呼ぶよう促す動きがあった。
くわしいことは外務省のホームページ「外交史料 Q&A」を。
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わはははは、そのアメリカ人を含めて欧米人が「ポルトガル承認による南方伝来説」にこだわるのは、他の理由もあります。彼らは、東方見聞録を著したマルコ・ポーロの事跡が、当時の「モンゴル大帝国」の樹立によることを認めたくないのですよ。
モンゴル帝国が世界の半分以上を治めていた時代は、ローマ帝国が実質的に滅びた後の12世紀です。つまりヨーロッパは暗黒中世の時代であり、魔女狩りだの、十字軍だの、天使に性器はあるかないかだの、迷信状態にありました。そんな時期に東洋で優れた文明を確立していた(かつてのローマ帝国をも凌ぐ)一大文明帝国が存在していたことを、彼らは絶対に認めようとはしません。
大航海時代になってから「自分たちの力で世界を発見し価値あるものを自分たちが持ち帰った」と主張したいのでしょうね。コロンブスによる「アメリカ大陸発見」と同じ考え方です。
北方ルートだろうが南方ルートだろうが、Japanのもともとの語源は「日本」の中国語読みにあることは明らか。そもそも、イタリア商人たちが「黄金の国ジパング」に興味を懐き、南方航路から東アジアを目指したのも、マルコ・ポーロの先駆的伝承があってこそ。だけど後の世に対する影響は、時代の新しい方が影響も大であるに決まってます。(寿司が日本で確立されたのと同じこと。)
英国のオックスフォード辞典に英語で記述されたのが遅いのも、大航海時代の当時、イタリアなど先進ラテン文明諸国に比べて「野蛮人の国」に過ぎなかったブリテン島へ、その頃になってようやく伝わったから、というに過ぎません。
それもひとつの見方ですね。