「ラストエンペラー」と日本人が聞いて連想するのは、何といっても清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(ふぎ)でしょ。
約2200年前に秦の始皇帝が第一号となってから、1912年の辛亥革命によって溥儀が廃位されるまで中国には皇帝が君臨していた。
ちなみにこのラストエンペラーは中国の歴史上、たった一人だけ火葬された皇帝だから「火龍」とも呼ばれる。
*龍は皇帝のこと。
波乱に満ちた彼の人生を描いた映画の影響もあって、日本で「最後の皇帝」といえば普通は溥儀を指す。
2歳にして中国皇帝となった溥儀(右)
日本で北京旅行のツアーを申し込んだら、北京ダックを食べた次の日かその前日に、中国のシンボル的な建物である天壇(てんだん)に行く可能性がきわめて高し。
ここは明清時代の皇帝が天(天帝)を祭る儀式を行っていた宗教施設(祭壇)で、いまでは北京観光では外せないスポットになっている。
「民衆のハングリーはすぐにアングリーになります。そうすると王朝は崩壊します。中国の歴史では、『空腹』が革命の原因になることがよくあるのです」
高校生のころ世界史の授業で聞いたこの話は正解で、中国皇帝にとって国を治めることや、自分の身を守るために最も重要なことは、民に飢えさせないぐらいの食べ物を提供することだった。
それで皇帝は天壇に行って豊作を祈る儀式をしたり、雨が少ないときは雨乞いを行っていたのだ。
このセレモニーをできるのは天子である皇帝だけ。
それは分かるのだが、個人的に謎なのが京都にある「焼肉の名門 天壇」。
焼肉と天壇とのつながりが不明で、ネットを見ると「韓国料理レストラン」とも書いてあって謎はますます深まるばかり。
天壇
メガネの曇りが気になって説明に集中できないんだが、「ヨウタクさん」のくわしい解説を聞いてみよう。
で、まえに中国人の日本語ガイドと天壇へ行ったとき、「中国最後の皇帝を知ってますか?」と聞かれて、「フギですよね?」と答えると、「って思うじゃないですか。でも実は違うんです」とガイドは笑顔を浮かべる。
なんかワナにかけられてイラっときたけど、一応ガイドの話を聞くと、中国最後の王朝は中華帝国でラストエンペラーはその初代皇帝となった袁世凱だとか。
軍事力を背景に強い政治権力を持ち、欧米からは「ストロング・マン」と呼ばれた袁世凱は、1915年末に「洪憲」という年号をつくって帝政を復活させる。が、翌16年に崩壊。
この中華帝国はバブルのような短命政権で、袁世凱が皇帝として君臨していたのは83日だけ。
あのワニより短い寿命だった。
ガイドの考えでは、袁世凱は天壇で天に祈る儀式を行った最後の人物だから、彼が中国のラストエンペラーになる。
もちろんこれはガイドの個人的な解釈で、公式の歴史では愛新覚羅溥儀が中国最後の皇帝だ。
1915年の12月12日、つまり約100年前のきのう、袁世凱が共和制を廃止して中華帝国大皇帝となったんで、あのガイドの顔を思い出して「幻のラストエンペラー」の話を紹介しますた。
洪憲帝時代の袁世凱
画像:袁世凯帝袍图
おまけ
辛亥革命が起こる直前の北京のようす
製紙法の伝播(西伝) いつ中国から日本・イスラーム圏・ヨーロッパへ?
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