タイを旅行中、首都バンコクで地下鉄に乗ろうと構内を歩ていると、壁に世界で一番親しみのある国旗を発見。
バンコク・メトロは日本の支援を受けて完成したから、こうして感謝の気持ちを示すプレートを設置して、多くの人へ伝えているのだ。
「マイペンライ(大丈夫だあ)精神」で、何事にもポジティブでいい加減なタイ人にもこういう律儀な面はある。
さて、いまでは支援する側となっている日本で、初めて地下鉄が登場したのは100年ほど前のこと。
1927年の12月30日、上野~浅草間に日本初の地下鉄(いまの東京メトロ銀座線)が開通したことから、この日は「地下鉄記念日」になっている。
ちなみにその5年前の1922年12月30日、世界初の社会主義国家・ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が誕生した。
このときの距離は2キロメートルほどだったから、現在の東京中を張りめぐらす地下鉄網からしたら、よちよち歩きの赤ん坊のようなもの。
でも、当時は「東洋唯一の地下鉄道」と宣伝していたから、これは画期的で日本人として誇らしいことだったに違いない。
東京メトロのHPにるよと、5分間(2.2km)の乗車のために人びとは1時間以上も列に並んだというから、これは移動手段ではなくて、乗ることが目的の「文明体験」だったのだろう。
駅に到着すると、歩いて戻る人も多かったのでは?
日本初の地下鉄導入には、実業家の早川 徳次(はやかわ のりつぐ:1881年 – 1942年)の功績が超でかい。
大正3年(1914年)にイギリスへ行ったとき、彼はロンドンの地下鉄に衝撃を受けて「これからは東京にも地下鉄が必要だ!」と考えるようになる。
早川 徳次
東京地下鉄道の起工式
中央で綱を握っているのが早川。(1925年9月27日)
でも早川の発想は、当時の日本人には先進的すぎてついていけなかった。
東京の地盤は弱い、技術的・資金的に無理だ、ビジネスとして成り立つか見通しがつかない、と鉄道省や自治体ができない理由をあげて早川に反対する。
でも、2021年に大注目を浴びた渋沢栄一はこの案に賛成した。
渋沢もかつてにヨーロッパへ行った経験があり、そのときは日本とは比較にならないパリの圧倒的な文明力にこう舌を巻いた。
「西洋の開化文明は、聞いていたより数等上で驚き入ることばかりです。天下の気運とでも言うのでしょうか、人知の及ぶところではありません。」
パリの繁栄を見た渋沢は完全脱帽し、これはもう西洋文明を学んで吸収するしかないという結論にいたる。
「私の考えでは結局外国に深く接して長ずる点を学び取り、わが国のためにするほかなく、以前の考えとは反対のようですが、日本が孤立することなど思いもよりません。」
*以上の渋沢の言葉は「一九九〇年代の日本 (PHP文庫) 山本 七平」から。
渋沢栄一が早川の地下鉄計画に賛同したのは、こんな経験があったからだろう。
渋沢らの協力もあって早川 徳次は東京地下鉄を創立して、「地下鉄の父」と呼ばれるようになった。
そしていまの日本はその技術を世界中へ伝えている。
ちなみに東京メトロの「メトロ」は、1863年にロンドンで世界初の地下鉄を開業させたメトロポリタン鉄道に由来する。
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> ちなみに東京メトロの「メトロ」は、1863年にロンドンで世界初の地下鉄を開業させたメトロポリタン鉄道に由来する。
えー、違うでしょ! 地下鉄のことを tube だの subway だの、奇妙な単語で表現する一部の国を除いて、フランスでも、スペインでも、メキシコ(スペイン語圏)でも、ケベック(カナダのフランス語圏)でも、「メトロ」と言ったら地下鉄のこと、常識ですよ。・・・と思って調べてみたら、そう簡単な話じゃありませんでした。
もともとギリシャ・ラテン語系由来のmetro-polis(大都市)という英語があって、そこからロンドンの地下鉄に Metropolitan Railway という社名がついた、それに因んでフランス他各国が地下鉄のことを Metro という名前をつけたらしい。つまり世界各国の Metro は、英語からラテン系言語(フランス語、スペイン語)への逆輸入だったという訳です。
昔、カナダ人と話をしている時に「モントリオール(ケベックの州都)へ行くとメトロの中にサブウェイがあるよ」とジョークを言われて、何のことやら意味が分かりませんでした。地下鉄の中に地下鉄、何ソレ?
よくよく話を聞いてみたら、地下鉄駅構内のサンドウィッチ店 Subway のことでした。
>えー、違うでしょ!
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