インド人もビックリの、西園寺公望が考えた“差別解消法”

 

「インドと聞いて、何を連想しますか?3つ挙げてください」

と日本人にアンケート調査をしたら、きっとこのカースト(制度)が出てくるはず。

バラモン(ヒンドゥー教の聖職者)
クシャトリヤ(王・戦士・貴族)
ヴァイシャ(製造業者・市民)
シュードラ(農牧業・手工業者・労働者)

この身分制度はいまでは「ヴァルナ」と呼ばれていて、これにジャーティが加わったものがカーストになる。

日本なら弥生時代に成立した古代インドのマヌ法典によると、カースト制度はこうしてうまれた。
*ブラフマンとはヒンドゥー教の創造神のこと。

威光燦然たるかの者(ブラフマン)は、このいっさいの創造を守護するために(彼の)口、腕、腿および足から生まれた者たちに、それぞれ特有のカルマを配分した

(マヌ法典―ヒンドゥー教世界の原型 (中公新書) 渡瀬 信之」

 

ただカーストはヒンドゥー教の話であって、インドの社会制度ではない。
仏教やシク教などの異教徒には関係ないから、「こんな身分制度はバカげている。アッラーの前では全ての人間は平等なんだ」とカーストを全否定するイスラム教徒のインド人もいた。
だから「カースト=全インド人の問題」という前提で話をすると、インド人から「いや違うから」と否定されることもある。

さて、上の4つのヴァルナ(カースト)に入ることができない「アウト・カースト」と呼ばれる人たちもいて、彼らの仕事は生まれた時にだいたい決まっていた。

皮革のなめしや染色、ゴミや屎尿の処理、ネズミ取り、死体処理、火葬などといった(ほとんどが世襲の)職業ゆえに「不浄」とみなされている

「ビジネスマンのためのインド入門 (新潮OH!文庫) マノイ・ジョージ)」

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アウト・カーストの家族

 

でも最近はインド社会も変わっていて、「不浄な仕事」を受け継ぐことや、低カーストの人が触った物には触れられないといったムゴイ差別はかなり消えて、「それは過去の話だ。もう時代が違う」と言うインド人が多い。
でも、結婚だけは別。
カースト差別を「時代遅れ」「人権意識の欠如」と否定するヒンドゥー教徒でも、結婚相手となると同じカーストを選ぶ。
異なるカースト間での結婚はヒンドゥー社会のタブーで、一族から追放される危険性があるから、そんなことは本当に本当にマレ。

 

インド紙の求婚広告には「カーストノーバー」(カーストは気にしない)という文字もある。
でもインド人に言わせると、「それはこの人が低いカーストということだ」とのこと。

 

世界や歴史を見渡すと、差別というのは人種や宗教の違いからうまれることが一般的で、同じ人種・宗教間での差別というのはめずらしい。
インドならそれがアウト・カーストへの差別で、日本なら江戸時代に「穢多・非人」と呼ばれた人への差別になる。
「穢れが多い仕事」や「穢れ多い者が行なう生業」が由来になったというから、穢多の人たちが置かれていた社会的立場はアウト・カーストと同じようなものだ。

カーストについてインド人に話を聞こうとすると、こちらに悪気はなくても、こんな反発が返ってくることがある。

「日本にも同じものがあったじゃないですか。「士農工商」ですよ。あの身分制度はカーストと同じです。差別問題はどこの国にもあるんですよ」

まぁ、「士農工商」の身分制度は存在しなかったというのが最近の定説なんだが、日本にも同じ人間の間で、差別や蔑視があったことは間違いない。
でも日本には、インド人がビックリようなことがあったのだ。

 

先日1月7日は、1906年に日本で西園寺公望(さいおんじ きんもち)が第12代内閣総理大臣に就任した日。
西園寺家といえば、日本でも最高クラスの貴族じゃないか。
日本の公家の世界で最上位に位置しているのが摂家で、その次が清華家(せいがけ)。
この清華家の公家は太政大臣にまで昇進することができ、そのスペシャルな家格から「七清華」なんて優雅な呼び方もある。
*花山院・西園寺・大炊御門・久我・転法輪三条・徳大寺・菊亭の七家。

西園寺公望の首相就任を聞いた明治天皇は「公卿から初めて首相が出た」と喜んだという。

リベラルな考え方をしていた西園寺は教育勅語には批判的で、「忠孝」や「愛国」といった言葉を削除した「第二次教育勅語」の作成に取り組んだ。(でもこれは実現せず)
また文部大臣時代には、

「人民がすべて、平等の関係において、自他互に尊敬し、自から生存すると共に、他人を生存せしむることを教へねばならぬ」

とその名家の地位を否定するようなことを言い、自由や平等の重要性を強調した。彼が望んだのは教養ある「市民」の育成だ。
こんな気風から京都の立命館大学がつくられた。

 

江戸時代が終わって明治になったころ、こんな小さくて大きなことがあった。
それまでの身分制度が廃止されたとはいえ、明治はじめごろの日本社会では、まだまだ差別意識や偏見が根強く残っていた。
そんな見方を一掃して、明治とは差別のない、自由で新しい時代だということを日本中の人たちに知らせたい。そう思った西園寺は東京へ行く知人にこんなお願いをしたという。

東京へゆけば、いままで差別されていたひとびとのなかから、いい娘さんをさがしておいてくれ。その人と結婚する。私は、公家である。日本でもっとも高貴な血とされている。私がそういう人と結婚すれば、千万言の言論を費やさずして、維新とはなにかをということが、世間の人にわかるだろう

「明治という国家 (NHKブックス) 司馬遼太郎」

 

清華家の人間が「えた・ひにん」だった人と結婚したら、現代の日本人では想像できないような驚天動地の衝撃が日本中に走るはず。
明治天皇もこの発想には絶句したかも。
これは実現しなったらしいけど、差別の解決策としては究極の方法と言うことができる。

日本で最も高貴な貴族が、最も差別されていた人との結婚を申し出る。
100年ほど前にこんなことがあったと知人のインド人に話すと、彼は「信じられない」という顔をして絶句する。
インドでもカースト差別の廃止を訴える人は多いし、「アッラーの前では全ての人間は平等だ」という意見なら聞いたことはあるけど、こんな方法は初耳。
「血を混ぜる」というやり方は差別を解消するうえでは効果的かもしれないけど、インド社会でその発想はとても危険で現実的ではないと言う。(混ぜるな危険ですか?)

オーストラリアの近くにある島国で、日本では「ラピタ人」で一部では知られるトンガ王国にも、王族、貴族、平民の3つの身分がある。身分の変更は基本的に不可能で、1980年に平民の娘と結婚した王子が、王族の称号を剥奪されて平民になったという例外的事例があるぐらい。
トンガ人からみても、西園寺の発想はビックリかも。

まあ、日本でもこんな考え方は例外中の例外だ。
西園寺がいまの日本の社会を見たら、こんな方法をとる必要はないと思うだろうけど、なくさないといけない差別はまだ残っている。

 

 

日本 「目次」

インド 「目次」

神聖で汚いガンジス川①インドの裁判所、川に’人権’を認める。動画付き

インドの北部と南部、食文化の違い。器にもカースト制の影響が。

インド人が驚いた日本人。カースト差別と闘う佐々井秀嶺という仏教僧。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。