【日本人とキリスト教】長崎の2大殉教事件・鬼利支丹行列

 

日本で「アグネス」といえば、ラム・チャン・チョウでかなり知られた外国人女性の名前だ。
この由来は約1600年前、キリスト教が禁止されていたローマ帝国で生きた少女にある。
大人からムゴイ拷問を受けて、改宗を迫られても信仰を守り抜いたアグネスは、最期は首をはねられて304年に12歳か13歳で殉教したという。

キリスト教のために死んだ聖女アグネスはいまでは、純潔・少女・ガールスカウトの守護聖人になって世界中のキリスト世界で尊敬されている。

 

古代ローマでは、皇帝の権威を受け入れないキリスト教は禁教とされていたから、その時代の殉教者(Martyrs)はかなり残酷に殺された。
最後の2番目がアグネス。

 

 

さてキリスト教の殉教といえば、新型コロナのせいで長崎で2月5・6日に行う予定だった「日本二十六聖人殉教祭(記念ミサ)」が中止になったというニュースを見た。
韓国ではミサを強行してコロナを拡散させたキリスト教のグループが、国民から大バッシングを受けたから、まあこれは止めといたほうが吉。

これにネット民の感想は、しょせんは人ごとだ。

・今年磔にされるはずの奴らはホッとしただろ
・カトリックですらミサを中止するというのにうちのバカ親戚は結婚式強行だってよ
・おや?
イエス様は奇跡を起こしてコロナなんか撃退して下さらないんですか?
・これガンダムに例えるとどういう状況?
・聖闘士の祭り?

 

26人の処刑

 

ヨーロッパと同じく、日本でもキリスト教が伝わって浸透し始めると時の政府から禁止された。

キリスト教の殉教について日本史における有名な出来事には、豊臣秀吉の命令で1597年に長崎で処刑された上の「26聖人の殉教」と、江戸幕府によって同じく長崎で55名が火刑と斬首で殺害された元和の大殉教がある。

まず前者については、秀吉や側近がキリスト教に反対した理由にはこんな説があるという。

・信仰で結ばれたキリスト教勢力が拡大して、一向一揆のように反乱を起こすと考えたため。
・キリシタン大名や信者らによって、寺や神社が破壊されたり僧侶が迫害されていたから。
・ポルトガル人が日本人を奴隷として売買し、海外へ運んでいたから。

こうしたことからキリスト教への反感が高まっていた時、1596年のサン=フェリペ号事件でスペインが日本征服を企んでいると考えた秀吉が激怒。これが信者を捕まえて処刑した「26聖人の殉教」の原因になったといわれる。

次の徳川幕府も秀吉の禁教令を引き継ぎ、神父や修道士を見つけては捕えて牢に入れておき、元和の大殉教で大量処刑を行った。
神父や修道士をかくまった信者は、その一家全員が殺されたから、キリスト教をまだ分かっていないような子どももこのとき犠牲となる。
元和の大殉教の様子は地獄絵図だったことは間違いなく、処刑する役人も辛かったのでは?

キリスト教では信仰を守って殺された信者は、この上なく高い敬意を受けるのがお約束。
だから、1862年にローマ教皇によって26人が聖人にされて、1868年には55人が列福された。
*列聖とは聖人に次ぐポジション。

 

ここまでは秀吉や幕府など統治者の見方を書いてきたので、当時の庶民がキリスト教徒をどう見ていたか紹介しよう。
『長崎港草』という書の中に慶長19(1614)年、伴天連(バテレン:聖職者)の指示に忠実に従って、鬼利支丹(キリシタン:日本人の信者)が異様な姿をして、長崎の街を歩いた「鬼利支丹行列」のようすが書いてある。

慶長十九年の末つかた、伴天連ども長崎町中に充満し、鬼利支丹を引連(ひきつれ)々々、町中廻りける。其様(そのさま)を記すも浅猿(あさまし)けれども、古き書どもの中にあるをみて爰(ここ)に載(の)す。

「日本人とは何か。 (PHP文庫) 山本 七平」

 

「鬼利支丹」という当て字からも当時の日本人がキリスト教の信者に、強い憎悪や嫌悪を持っていたことがうかがえる。
このときの「鬼利支丹行列」にはこんな人たちがいた。

頭から灰をかぶった者
十字架を背負う者
白い服を着て頭には茨(いばら)の冠をのせる者
十字架や聖像を持つ者
地面をはい回る者
石で自分の胸をたたいて血を流す者
磔(はりつけ)にされた者と、それを担いで歩く者

こうした日本人による行列は1日で3千人にもなったという。
第三者の普通の日本人にはもう理解不能で、彼らが化け物や魑魅魍魎の群れに見えたと思う。
この「鬼利支丹行列」の目的はこんなものらしい。

「かく我身に難儀苦行し、終に其功をつみ、まりちんに逢(あわ)ん為とかや。」

日本人ならこれを読んで、「まりちん」という何かカワイイ単語に引っかかったのでは?
ギリシャ語かラテン語かほかの言語か分からんけど、この「まりちん」とは殉教のことで、英語の「Martyr」(殉教者)と元は同じきっと言葉だ。
「鬼利支丹行列」には、あえて自分に苦痛を与えて、最終的にはキリスト教の信仰のために死ぬことを願う(殉教)という意味があったらしい。

ただそれは一般の日本人には「浅猿(あさまし)」と見えて、まったく受け入れられなかった。
ローマ帝国と違ってその後も日本にキリスト教は根付かなかったから、一神教の考え方は日本人には合わなかったことになる。

 

聖女アグネスや長崎の26聖人は、いまのカトリック教会にとっては尊い人たちだから、3年前に長崎を訪れたローマ教皇は彼らに会いに行く。

イギリスBBC(2019年11月29日)

ローマ教皇が長崎で追悼 日本二十六聖人と踏み絵

日本人の伝統的な考え方では、人がよりよく生きるために宗教があっていわば道具。
宗教のために死ぬ殉教はその真逆だから、この価値観はいまの日本人にも受け入れられないと思う。

 

1 個のコメント

  • > 次の徳川幕府も秀吉の禁教令を引き継ぎ、神父や修道士を見つけては捕えて牢に入れておき、元和の大殉教で大量処刑を行った。
    > 神父や修道士をかくまった信者は、その一家全員が殺されたから、キリスト教をまだ分かっていないような子どももこのとき犠牲となる。

    戦国時代の末期、アメリカ大陸へ渡ったスペイン人、ポルトガル人、その後のイギリス人、フランス人、ドイツ人など白人キリスト教徒が現地でやらかした蛮行を思えば、豊臣政権や徳川幕府の為政者たちが日本人を守るために行ったであろうその行動も十分に納得できます。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。